かに座
過去との対決
「は」と「へ」の切り替え
今週のかに座は、「無理を無理なく用いる」という言葉のごとし。あるいは、改めて養生の第一歩に立ち戻っていこうとするような星回り。
生活に留意して健康の増進を図ることを「養生」と言いますが、健康的であろう、何事もなく平穏無事であろうとしても、結果的にみずからの溌溂とした人間らしさが委縮してしまうのであれば、それは逆に生きる元気を奪うものであり、不養生そのものでしょう。
こうした養生をめぐる逆転や錯綜について、例えば野口整体の創始者である野口晴哉は、「養生」というエッセイの中で、次のように述べています(『偶感集』)。
養生とは無事を保つことではない。養生とは無理を無理なく用いることだ。無理のない養生は不養生の一つだ。/護ることも大切だが、鍛えることはもっと大切だ。鍛えるということの出発点が心にある。行為そのものに鍛えるということがあるのではない。
つまり、適切な運動をして、食事の栄養バランスを心がけ、生活リズムを保ったとしても、その根本に「無理を無理なく用いる」ことで自身を「鍛える」心がなければ、それは養生ではないと言うのです。具体的にはどういうことなのか。さらに続きを見てみましょう。
断食して丈夫になる人あり。餓死する人あり。食いたくても食はぬ人には断食は健康法になり、食いたいのに食へぬ人は餓死する。生と死の境は「は」と「へ」のみ。養生の第一歩は心の「は」と「へ」を切り替えることにある。/「へ」から出発した行為には、鍛えるということは含まれてはおらぬ。「は」から出発した行為は、人間を鍛える。
9月11日にかに座から数えて「自己規律」を意味する6番目のいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、食へぬ、遊べぬ、会へぬといった消極的な「へ」を、いかに積極的な「は」へと切り替えていけるかどうかが問われていくでしょう。
「意志することは憎むことである」
「へ」を「は」へというのは意志の発動とも言い換えられるかと思いますが、例えば哲学者のハイデッガーは、「意志」という概念に対する批判的な指摘を3つしており、まず「意志することは始まりであろうとすることである」ということを言っています。
つまり、何かを意志するとは「無からの創造」なのだという訳ですが、面白いのはそこから「意志することは忘れようとすることである」という第二の命題を導き出すんですね。
これはつまり、何かを意志することはそれ以前の出来事について考えまいとすることであるということでもありますが、これはとかく意志の実際的な働きにおいて無視されがちな部分を指摘したという意味で、非常に重要なポイントです。
そして第三の指摘に至ってはいよいよ鋭さを増して、「意志することは憎むことである」と言ってしまう。これはすごいですね。自分が現に生きている今というのは、すべからく過去によって規定されている訳で、個人の力ではどうにもならない事態ですが、このどうにもならない過去を前にして、人はそれに復讐したいという気持ちを抱くのだと。
すなわち、「意志」というのはこうした過去を憎み、過去へ復讐せんとする気持ちの裏返しとしての「過去の切断」に他ならないという訳です。
今週のかに座もまた、どうしても切断したい過去というものといかに対決をはかっていくかということが、少なからずテーマになっていくでしょう。
かに座の今週のキーワード
生と死の境は「は」と「へ」のみ。