かに座
川と戦慄と私
夜の川をのぞきこむ
今週のかに座は、『風ふたたび』の川並陽子のごとし。あるいは、どうしても無視できないものや相手、場にひき寄せられて、そこに飲み込まれていくような星回り。
永井龍男が朝日新聞に連載した小説『風ふたたび』は、華々しい人物はひとりも登場せず、ただ市井に生きるけなげな人びとの人間模様を描いた作品ですが、そのヒロインである久松香菜江について、登場人物の川並陽子がこんな人物像を披露する場面があります。
ね、分かるでしょう、夜の川。なんて云うのかな、黒々と、静かに流れて、そばにいると、引き込まれそうになる
彼女はこの説を本人に向かっても「夜の川よ。暗いかと思うと、明るく灯がうつってる。じっとしているのかと思うと、流れてるそばへ行くと、引っ込まれそうな気になる」と説明し、畳みかけるかのように「あなたはそうなのよ」と決めつけます。
話の最後で、この川並陽子という人物は自分の隠し通してきた罪の告白をするのですが、もしかしたらヒロインに対し、自分の罪の意識をあぶりだし、増幅してしまうような何かを感じ、あるいは罪悪感そのものを投影し、逃れられない気持ちを強めていったのかも知れません。
8月26日にかに座から数えて「無意識」を意味する12番目のふたご座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、何か言いようもなく惹きつけられるものがあるなら、そこに自分は何を投影しているのか、改めて思い当る節を探ってみるといいでしょう。
うめきと戦慄
例えば、“裸の王様”を見つめ本当のことを口にしようとした子どもと比べて、あなたは今の自分のことを、おろかな知恵者か、かしこい愚者か、どちらに近いと思っていますか?
――子供の頃、独りで広場に遊んでいるときなどに、俺は不意と怯えた。森の境から……微かな地響きが起こってくる。或いは、不意に周囲から湧き起ってくる。それは、駆りたてるような気配なんだ。泣き喚きながら駆けだした俺は、しかし、なだめすかす母や家族の者に何事をも説明し得なかった。あっは、幼年期の俺は、如何ばかりか母を当惑させたことだろう!泣き喚いて母の膝に駄々をこねつづけたそのときの印象は、恐らく俺の生涯から拭い去られはしないんだ。(埴谷雄高、『死霊』)
こうした、私が私であることへの「怯え」、あるいは自分が人間であることへの不快には、身に覚えがある人もいるでしょう。
少なくとも、裸の王様を前にした子どもはその怯えに突き動かされるように思わず口を動かし、そして居ても立っても居られず走り去ったのに違いありません。
その「戦慄」や、「うめき」こそが、どこで覚えたのでもない、ほんとうの自分。今週のかに座もまた、そういうことがまたすこし分かってしまうのではないかと思います。
かに座の今週のキーワード
私が私であることへの「怯え」