かに座
虫・人間・苔
あゝ薄情
今週のかに座は、すがすがしいまでに薄情な回答者のごとし。あるいは、虫の生き死にと同等くらいに、人間の生き死について取り扱っていこうとするような星回り。
1971年に刊行された人生相談本『人間滅亡的人生案内』で、寄せられたさまざまなお悩みに回答している作家の深沢七郎は、ある意味で「薄情な回答者」の元祖といえる存在です。例えば、自分が考えついたことを自分が本当にしたいのかどうか自信がないという、来年大学受験を控える18歳の男性から寄せられた相談。
「今の生活は死ぬのが恐いから、だから生きているって感じ」で「つまらないし、さみしい」から、何か「アドバイスあるいは、サジェスション、また仕事の楽しさ、愛の喜び―何でも良いです。言葉をかけてください」と自己憐憫たっぷりに訴える青年に対して、深沢は「生きているのは怖いからは満点です」と持ち上げつつも、次のように続けるのです。
貴君にかける愛の喜びの言葉なんてものは存在しません、ありません。アドバイスとしては何も考えないことです。何もしたくないそうですがそれが最高です。何かしようとする。何かすれば誰かが「悪いとか」「良いとか」認めます。何もしなければそれも「悪い」と言われるかも知れません。最高の生活でも態度でも社会という奴は妙な眼で見ます。社会的に偉いとか認められた人に私は好きな人物はありません。「社会が悪い」という言葉はそういうことに使う言葉だと私は思います。
どこかで深沢は人間は滅びてしまって良いと書いてた気がしますが、それは人間なんて最低だと考えている訳ではなくて、むしろ「人間の生き死にはちゃんと虫の生き死にに匹敵する」というニュアンスでそう考えているのでしょう。普通の人は、どこか無条件で人間は虫より偉いと思ってしまうのに、深沢にはそれがない。当然、「社会的な偉さ」なんて信じてやいないでしょう。
したがって、彼は人間の手前勝手な相談にはあくまで無責任に、薄情に応じるだけであり、相談者の望む解決になんか話を向ける気はなく、だからこそ相談者も安心して相談してくるのです。
6月29日にかに座から数えて「世間との折り合い」を意味する10番目のおひつじ座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、深沢ほどまでとはいかずとも、人間の目論見になどあくまで無頓着を心がけていくべし。
「あぁ、人間の負けだなあ」
倉敷で蟲文庫という古本屋を営む田中美穂さんのエッセイ集『わたしの小さな古本屋』に入っている「苔観察日常」というエッセイなかに、次のようなくだりが出てきます。
ところで苔というのは、このような乾燥した状態のまま、当分は「眠って」いるのだそうで、何かのきっかけで条件が揃えば、またなんでもない顔をして、再び胞子を飛ばし、発芽して、それがまた胞子体をつくり……というふうなライフサイクルを繰り返すこともできるというのです。(…)そして、それがいまもこうしてわたしたちの身の回りで普通に生きているのを見ていると、永瀬清子の「苔について」という詩にあるのですが、「あぁ、人間の負けだなあ」という思いがします。
そうそう、こんな風にときどき思いっきり負けを認めてみることが、私たちには必要なのではないでしょうか。「あの人に負けてるなぁ」ではなくて。だって、「あの人」くらいだと、本当は負けを認めることができていないし、かえって苦しくなりますから。
その意味で、今週のかに座もまた、公園や川のほとりに座り込んでぼんやりしたり、遠くを眺めたり、ただぶらぶらするだけの時間を大切にしてみるといいでしょう。
かに座の今週のキーワード
人間も苔も大して変わらない