かに座
現代人をやめてみる
春雨は止むことなく
今週のかに座は、『春雨やものがたりゆく蓑と笠』(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、自身の社会的な「ものがたり」をいったんリセットしていこうとするような星回り。
作者が歩いているのではなく、作者の視野のなかの景を詠んだ一句。寒さが去った晩春の雨である「春雨(はるさめ)」の降るなかを、蓑を着た人(今でいうレインコートだろうか)と笠をさした人とが、何やら会話しながら歩いていく。そんな光景を少し離れたところから見ていたのでしょう。
笠を着た人は農夫か漁師で、笠をかざしているのは身分の高い人か女人という見解もありますが、いずれにせよ、そうした人間が勝手に作りだしている社会における身分や立場の違いが、春の雨によってやさしく包まれつつも、どこか朦朧化して、どこかへ遠いところへと洗い流されていくかのようです。
春雨は止むことなく、いつまでも降り続けている。しかし、もはや冬が去った気軽さからか、少しくらい濡れてもいいじゃないか、という気持ちになってくる。それは木の芽を育て、花の開花を促す明るい雨なのだ。
4月9日にかに座から数えて「世間との折り合い」を意味する10番目のおひつじ座で新月(皆既日食)を迎えていく今週のあなたもまた、時には濡れても泣いてもいいんだよと、自分を大いに甘やかしていくべし。
原始時代のダメ人間
ここで辻征夫の『春の問題』という詩の冒頭部分を引用してみたいと思います。
また春になってしまった/これが何回めの春であるのか/ぼくにはわからない
人類出現前の春もまた/春だったのだろうか
原始時代には ひとは/これが春だなんて知らずに
(ただ要するにいまなのだと思って)
そこらにやたらに咲く春の花を/ぼんやり 原始的な眼つきで
眺めていたりしたのだろうか
ここにはいのちというものを自分一人の個と捉えず、わが身に人類の歴史や過去がすべて流入してしまっているかのような息遣いがあります。
ああこの花々が主食だったらくらしはどんなにらくだろう
どだいおれに恐竜なんかが/殺せるわけがないじゃないか ちきしょう
などと原始語でつぶやき/石斧や 棍棒などにちらと眼をやり
膝をかかえてかんがえこむ/そんな男もいただろうか
ええ、いたでしょうとも。今週のかに座もまた、こうしたなんとも言えない上等のおかしみをもって、できれば「原始的な眼つきで」殺伐とした人類の営みを眺めていきたいところです。
かに座の今週のキーワード
超ド級のおおらかさで自分を包む