かに座
フィクションを取り入れる
ただのマルティンを改革者ルターへと変えたもの
今週のかに座は、父なるものをめぐる葛藤の乗り越え週間。あるいは、仕事や職業観をめぐる歴史的な転換を促す潮流と個人的な問題とが不思議とシンクロしていくような星回り。
歴史の転換期には、後から振り返れば当然に見えても、当時の時代状況に即して考えてみると、さながらアクロバット的としか言いようのない思想潮流の切り替えがあるものです。
例えば、資本主義の精神の源流とは何であったのかを振り返っていくとき、切り替えの要点は、それまで神から与えられた使命、天職だけを意味してきたドイツ語の「ベルーフ(Beruf)」という言葉が、現世の職業労働にも当てはめられるようになったことに求められます。
首謀者はマルティン・ルター。彼が、旧約聖書をドイツ語に翻訳する際に、そういう意味を与えたのが始まりであり、それ以降、営利の追求への罪悪感は決定的に薄れていったのだと言います。
しかし、ルターはなぜそのようなことを成し得たのか。発達心理学者のE・H・エリクソンによる『青年ルター』を読むと、その激情的でドラマチックな生涯が間近に迫って展開されてくるようですが、特にここで注目したいのは、次のような場面。
21歳の折、修道院に入ったマルティンは聖歌隊において突然発作を起こして倒れ、「それは私ではない」と叫んだという出来事が起こりました。著者はこれについて、「おまえは悪霊にとり憑かれているのだ」と言って彼の修道院入りを罵倒した父親に対して無意識が答えたものであり、彼の願望は「神に直接、何の困惑もなしに語る」ことだったのだ、と述べています。
つまり、マルティンは実の父親と天の父という2人の“父親”をめぐってアイデンティティの危機に直面していたのであり、その葛藤を創造的に乗り越えた成果が、結果的に時代や国をこえて近代的な労働観念として受け継がれていったという訳です。
3月20日にかに座から数えて「父なるもの」を意味する10番目のおひつじ座で春分(太陽のおひつじ座入り)を迎えていく今週のあなたに求められていくのも、どこまで自分事として“歴史の現在”を捉えていくことができるか、ということになっていくでしょう。
病まないためのフィクション
シベリアの民話には、人間の女性が森の中で若い男性と出会い、結婚した後に、相手が熊だと分かるみたいな話も多いのですが、そこでは伴侶が熊だと気付いても特段驚くことなく子どもを作り、やがて熊の習性を知り抜いた上で人間界に返されます。
猟師の知恵の根幹は、そうした熊と結婚していた女性から聞いた話にあり、猟師は子を孕んだ母熊や子熊を殺してはいけないという「掟」を必ず守ることで、熊から肉や毛皮をプレゼントしてもらう。少なくとも、そういうことになっている。
なぜこのようなフィクションがつくられたのかについて、中沢新一さんは、熊を殺すことに対する衝撃があまりに大きく、ただ狩っているだけでは精神的に病んでしまうからだろうと述べています(『熊の夢を見る』)。
つまり、シベリアの猟師たちは熊をただ自分たちが生き延びるためだけに殺しているのでなく、霊の世界に戻しただけで、自分たちは自然の循環を壊している訳ではないのだと確認することで、何らかの「癒し効果」を得ていたのではないかと。その意味で今週のかに座もまた、自分を特別視することなく、もっとやんわりとこの世界にいられるようなフィクションを取り入れていきたいところです。
かに座の今週のキーワード
循環系フィクション