かに座
狭い<私>を越えて
歴史の未届け人
今週のかに座は、『たんぽぽや長江濁るとこしなへ』(山口青邨)という句のごとし。あるいは、末永く見守っていきたいと思えるようなものに突き当たっていくような星回り。
春になって、たんぽぽが咲いている。その前を、ゆっくりと長江が流れている。はるかな昔から、未来永劫変わることがないであろう長江の濁り。その流れは、人の一生や人が作りだす文明のスケールを超えた悠久の時間の流れをも思い起こさせる。
チベット高原から中国大陸の真ん中を横断するように流れ、東シナ海へと注ぐ長江は、世界的にもナイル川、アマゾン川につぐ第3位の大河であり、古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。そして、その流域にそって産業がおこり、文明が栄えた。
そうして流れ続けてきた長江の堤に咲く、ちっぽけなたんぽぽではあるが、このたんぽぽも世代交代を繰り返しながら、その歴史を見守り続けてきたのではないだろうか。最近は、海外へ旅行に行くこと自体のハードルはだいぶ下がってきたが、かえって掲句のような形で悠久の歴史をおもう機会は減ってしまっているように思う。
その意味で、3月10日にかに座から数えて「異化作用」を意味する9番目のうお座で新月を迎えていくところから始まる今週のあなたもまた、意識の表層で近視眼的に凝り固まりがちなまなざしをできるだけ遠く深くへと解き放っていくべし。
深淵から生を見つめる
ここで思い出されるのは、孤独な無国籍者(自称「穴居人」)として、人間の業を凝視し続けた哲学者のエミール・シオランです。彼は『悪しき造物主』というエッセイ集の「扼殺(やくさつ)された思念」という章の中で、生まれついての自己の限界について次のように述べています。
横になり、目を閉じる。すると突然、ひとつの深淵が口を開く。それはさながら一個の井戸である
心の中に潜む、憎しみや残酷さ、依存心。そういうものについて私たちが「見せかけ」や「にせもの」などと呼ぶことがないように、それらに目を向ければ向ける程、じつに深い根をもって私たちの内部にそれらが巣食っていることが分かってきます。
その中に引きずり込まれて、私は深淵に生をうけた者のひとりとなり、こうして、はからずもおのが仕事を、いや使命さえも見出すのだ。
ある意味で、彼は長江の濁りを見つめ続けた「たんぽぽ」に等しいのだと言えます。今週のかに座もまた、いたずらに先へ先へと先を急ぐのではなく、すこし自分をカームダウンさせて、自身の内奥でうごめいているものを改めて見つめ直してみるといいでしょう
かに座の今週のキーワード
地下に根を伸ばす