かに座
リスクの海に浮かぶ小島
生命のざわつき
今週のかに座は、精巧かつ多様な求愛ディスプレイを見せるオス鳥のごとし。あるいは、本来単なる効率的な魅了や生殖に還元しえないはずの生命活動本来の豊かさを取り戻していこうとするような星回り。
動物への哲学的分析を重ねてきた思想家ジャン=クリストフ・バイイは、ニューギニアとオーストラリア北部のコヤツクリ科の鳥のオスが、周辺のくずを拾い集めてほとんど芸術的なまでの小さな箱庭を作ってメスを誘惑する習性を取りあげて次のように述べています。
生きる意志は、食糧や性的パートナーを探す時期に最も強くなるが、実は動物を混乱させ、ひどい目にあわせもする。それは、出来あいの答えを提供するのではなく、たくさんの作業(障害の克服、計略の練り直し、通り道の再開削など)を通して、絶えざる問いかけとなって現れる。動物がまだ多く生存する場所に足を踏み入れた途端に私たちがいつも感じる、あの絶えず忙しそうな感じ、休みなく活動しているという印象は、そこから来る。まるで私たちの周りのいたるところで、生命が自らを探索しながらざわついているかのようだ。
つまり、コヤツクリ科の鳥のオスにとって、求愛行動は単なる美しい儀式などではなく、いつでも不意に何か不測の緊急事態が現われ得る、果てしない悩みの種であるかも知れず、潜在するリスクの海の中でたまたま何事もなく表出したものが、「はかない刺繍」のように人間側に見えているに過ぎないのだと考えられるだろうと。
いずれにせよ、動物というのは同一の種であっても、大人数で行う2人3脚のようにいっせいに歩調を合わせて歩んでいくものではなく、星のように散らばり、きらめきながら、てんでばらばらな方向をむいて、種を繋ぐための施策を試みていくもの。
11月27日にかに座から数えて「潜伏先」を意味する12番目のふたご座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな定型から外れた動きとたえざる問いかけとを、自身の性(セクシャリティ)に取り戻していくことになるでしょう。
アジールとしての家
中世社会において、寺社だけでなく家=敷地もまた罪を犯した咎人(とがにん)の走り入りが認められた領域であり、権力の介入を排除しうる「不入」ないし「無縁」の場であったのだそうです(網野善彦『無縁・公界・楽』)。
これは日本だけに限らず、中世のゲルマン―西欧においても家の中は「平和領域」すなわちアジールであることを広く認められており、それは竈(かまど)の神の支配する場と見られていたとされています。つまり、「無縁」の場としての家の特質は世界の諸民族に共通した、いわば普遍的な現象だったのです。
むろん、家がそうした無縁の原理とは対極にある「私的所有の原点」であったことも疑いようもない事実ですが、家の主である家長は私的所有者として私的欲望を追求するだけでなく、先のコヤツクリ科の鳥の巣のように、公共的な逃げ込み寺にもしていったはず。
というのも、現代の私たちにとって家長と言えばすぐに家父長的な支配のイメージばかりが先行してしまいますが、かつてはむしろ女性が家女・家主・家長と表現されていた事実もあったから。
今週のかに座もまた、プライベートなものを思い切って明け渡していくことでこれまでとは異なる安心の手がかりを得ていくことができるかも知れません。
かに座の今週のキーワード
少しでもざわめきを起こしていくために