かに座
年齢夢想
四十の優柔
今週のかに座は、『朧夜の四十というはさびしかり』(黒田杏子)という句のごとし。あるいは、自分の気がすむまでとことんぐずぐずしていこうとするような星回り。
ほのかに明るく生暖かい春の朧夜(おぼろよ)は、どこかこの世ならぬものと繋がっているようで、ぼやーんとして魂がそのへんに漂っていってしまいそうですが、人間「四十」にもなると、身に沁み込んだ世間体だとかしがらみだとかが、どうにもそれを許さなくなる。
そのことを作者は「さびし」といい、ひとりごちているのでしょう。とはいえ、それは冬の厳しい寒さのなかで感じるきりきりとした痛みを伴うような寂しさではなく、「朧夜」のように甘く切ない感傷を含んだ寂しさであり、どこかに青春の湿り気をひきずっているように感じられます。
まだ年長者特有のドライな諦念にも徹しきれず、かと言ってもう若いふりをするのも限界がある。そんな宙ぶらりんな年代ゆえの感傷は、やがて霧が晴れるかのようになくなっていくのかも知れない。しかしだからこそ、どうにも身を固めきれなかったり、スパっと割り切れないでいる今の自分を大切にしよう。
3月21日に春分、そして22日にかに座から数えて「世間体」を意味する10番目の星座であるおひつじ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、つかのまの朧夜のごとき優柔さを自身に許していきたいところです。
五十で額縁
19世紀に生きたスイスの哲学者アミエルの日記に、「50歳までは、世界はわれわれが自分の肖像を描いていく額縁である」という一節があります。
そうだとすれば、私たちは人生のほとんどを本体である絵ではなくて、脇役であるはずの額縁づくりに費やしていることになる訳ですが、これは案外その通りであろうと思います。
というより、絵を描いてから額縁を探すのではなくて、絵を納めることになる額縁=人生のアウトラインや大枠が定まってきて初めて、絵すなわち人生という物語やその内的意味がはじめて紡がれ、宿っていくことになるのではないでしょうか。
なお、アミエルが有名になったのは、死後にその膨大な日記が発見され、刊行されてからでしたが、幸か不幸か、現代という時代はアミエルの生きた時代と比べても、個人的奮闘だけではいかんともしがたい現実にぶつかる機会はまったく減っていないでしょう。
その意味で、今週のかに座もまた、これまでの自分がどのような「アウトライン」を作ってきたのか、そして、そこからどんな物語を紡ぎえるのか、よくよく思いを巡らせてみるといいでしょう。
かに座の今週のキーワード
物語を引き立たせるものとしての半生