かに座
最高の平凡さを求めて
魅力界のコロンブスの卵
今週のかに座は、『吹きそめし東風の障子を開きけり』(池内たけし)という句のごとし。あるいは、変にイキらずともいい味がおのずと滲み出ていくよう促していくような星回り。
長い冬籠りをした障子の外の、灰色の空にも庭の木々にも、ようやく春の息吹が届いて、東風(こち)が吹き、梅が咲き始め、いよいよ景色が変わっていく。そんな待望の春の訪れを身近に感じた人の微妙な心理がよく現れている一句。
とはいえ、詠まれているモチーフも句風も、一見してあまり目を引くようなところはありませんし、風刺やパロディなどジャーナリスティックな文脈でもてはやされる要素も特にはありません。
しかしそれと同時に、頭の中でこねくり回した節もなければ、少しも強引なところや難解なところもない、眼で見たまま、心に感じたままが、そのまま口を衝いて句になっているような素直さがある。喩えるなら、いい米の味とか、おいしい水の味とか言われるものに近いような、素朴で豊かな味わいといったところでしょう。
通常、芸術家というのは芸の上の力みかたが逆に魅力になっている場合の方が多いのですが、こういう句に接すると、そうしたどこかギラギラしたところが一切ないということも、それ自体が魅力となりえるのだということに気付かされるはず。
2月20日にかに座から数えて「行き着く果て」を意味する9番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が目指していく方向性にそうした平明な境地ということを重ねてみるといいかも知れません。
「敬」の状態
12世紀南宋に生まれ「新儒教」の朱子学の創始者となった朱子が弟子の問いに答えて述べた『朱子文集』には、「心がいつも敬の状態にあるならば、肢体はおのずと引き締まり、なにも意識しないでも、肢体はひとりでにのびのびします」とあります。
この「敬」とは普通の意味での「尊敬」のことではなく、ある種の心の覚醒状態のことを指しますが、これを読むと朱子がその教えの根本においた「敬」の思想とは「こだわりのない平常心」のことでもあるということが分かってきます。
「心の全体があまねく流動して、行き届かないものはなにもない」状態とも述べており、これはフィジカル&メンタルな意味での健康に限らず、ソーシャルないしスピリチュアルな健康という概念まで含んだものであり、先の表現者が行き着く理想的な境地としての「平明さ」というのも、具体的には同じことを言っているのかも知れません。
今週のかに座は、そうした色んな観点から自身に足りない健康要素とは何なのかを把握し、みずからを「敬」の状態に置いていくよう心がけていくべし。
かに座の今週のキーワード
WHOによる「健康」の定義