かに座
変わりゆく体感
複数のレイヤーを行き来する
今週のかに座は、『音の奥より白々と夜の滝』(依田善朗)という句のごとし。あるいは、ヤドカリが家を移していくようにみずからを作り変えていこうとするような星回り。
闇の中を近づくにつれ、滝の音が強まって、次第に自分の息よりもはっきり聞こえるようになってくる。やがてその奥に白々と滝が浮かび上がってきた。轟音に圧倒されつつも、ここで感覚の主体は聴覚から目の前のかすかなものに目を凝らす視覚へと移り変わっていきます。そうすることで、結果的に読者が滝を重層的に体感していくように設計されている訳です。
もちろん、私たちは生来的にさまざまな感覚を重層的に経験していますし、それらのバランスのなかで感じ取る豊かさや幸福感は何ら特別なことではありません。しかし一方で、そうしたごく自然なあたりまえさを簡単に失ってしまうのも同じ人間であり、世の中なんだかんだ金であると割り切ってみたり、フォロワー数やいいねの数を人間の価値と勘違いしてしまったり、嫉妬や怒りなどに振り回されて物事を冷静に見られなくなったりといった、単一の感覚やそれに不随する視点に囚われて、結果的に視野狭窄に陥ってしまうようなことは現代では特に日常茶飯事なのではないでしょうか。
その意味で、ひとつの対象を複数の感覚から捉えたり、行き来していくような体験は、ある意味で狭くなりがちな視野を広く開いていくための契機ともなっていくはず。同様に、27日にかに座から数えて「移行」を意味する3番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、固定化されていた身体性に遊びをもたらしていくことで、視点や視野をグッと開いていくことがテーマとなっていきそうです。
動きであり、行為であり、生であるために
古代ギリシャのアルキメデスは、シチリア島シラクサの王から王冠の純度を調べるように命じられその方法に悩んでいたとき、風呂に入っていて、水があふれるとともに自分の体が軽くなることに気付いて、いわゆる「アルキメデスの原理」を発見し、王冠に銀が混じっているのを見抜いたと言います。
こうしたふとした気付き(インスピレーション)の到来は、いつだって精神の動きの中で起こるものですが、逆に言えば私たちはそのラクさゆえに、どうしても動きを止めてから思考を開始するのを当たり前のことだとつい思い込みがちです。この点について例えば、20世紀前半当時、ヨーロッパ最先端のアートスクールであったバウハウスで教鞭をとっていたパウル・クレーは授業原稿の中で次のように述べています。
現象としてのフォルム(形態)は、邪悪で危険な亡霊である。善良なのは、動き、行為としてのフォルムであり、活動しているフォルムである。このフォルムとはフォルムングのことである。悪いのは、現象としてのフォルムである。つまりそのフォルムは、終焉であり、死である。フォルムングとは、動きであり、行為である。フォルムングは、生である。(『無限の造形・下』)
今週のかに座もまた、亡霊としてフォルム(残像)を置き去りにするべく、自身の内側から湧き出してくるフォルムングに身を任せていきたいところ。
かに座の今週のキーワード
動きを止めてはいけない