かに座
場所的個ということ
ゆがみ⇔しらふ
今週のかに座は、「治そうとすると治らない」というジレンマのごとし。あるいは、対する相手も、自分自身も、どちらも特別扱いしないようフラットに徹していくような星回り。
ぜひ治そうという気持ちはかえって視野狭窄を起こす、ということは精神科医やカウンセラーに限らず、かつては結核医にもよくあったそうです。
それは大抵の場合、相手がすばらしいというかやりがいのある患者で、時間をかけても惜しくないと思わせる魅力があり、治療する側が「自分が破滅しても患者が救われればいい」という思いに駆られてしまう。
精神医学者の中井久夫は、そうした投影に陥らないためには、医者なら「医者」、臨床心理士なら「臨床心理士」というように、役割的な自己規定を以って対するのが一番よく、そこから外れれば外れるほど、患者の幻想的な側面を肥大させ、治療を困難にしていくことになるのだと述べていました。
そして、できるだけ「しらふ」的な雰囲気を保って、生活の資を稼ぐための仕事としてやっているのだという裏表のない「しらふ」的な態度に徹して、場合によっては、波長を外すとか、とぼけるなどして、「甲斐なき努力の美しさ」みたいな誘惑的な道に入り込まないよう十分に注意しなければならないのだと。
12月4日にかに座から数えて「治すこと/治ること」を意味する6番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、さめたニュートラルさや距離感を大切にしていくべし。
ひとでなしになる
人型をなくし、まともな人間でなくなっていくことで、かえって人は自らを正しくエネルギーの場として思い出していく自由が与えられていきます。例えば、お母さんの中から産まれてくる胎児が大きな「螺旋」を描いて、ずばーんと生まれてくる時というのも、人はエネルギーそのものであり、民俗学者で粘菌研究者でもあった南方熊楠の言うところの「大日如来の大不思議」のままに存在することができていた訳ですが、いつからか人は純粋な意味でエネルギーの場であることをやめ、その流れをゆがめてしまうのです。
そういう意味では、かつてT・H・ロレンスが「文明とは何か。それは発明品などよりも、感性の生活のうちに、明瞭な姿をあらわす」と言ったのは、文明に対する痛烈な皮肉だった訳ですが、その意味で、先の中井が述べていたような「しらふ」というのは、文明社会ではむしろ「ひとでなし」であるということであり、そうであってこそ「感性の生活」をまっとうできるのだと言えるかもしれません
今週のかに座も、いい意味で「ひとでなし」に近づいていくことで、日の光のきらめきを映す水面のような、純粋なエネルギーの場として機能していくことができるはずです。
かに座の今週のキーワード
場所とは神様そのもの