かに座
不安の種を晒す
地獄の樹木
今週のかに座は、地獄の第七圏第二環の森のごとし。あるいは、みずからの「落としどころ」をひそかに測っていくような星回り。
ダンテの語るところによれば、地獄の第七圏第二環の森では、枝々は節くれだって曲がりくねり、葉は緑というより黒く、果実のならぬかわり毒々しい棘(とげ)を生やしている。枝を折りとれば傷口が叫んで乱暴をとがめ、血とともに言葉が流れ出す。ここに根を生やした運命をたずねれば、太い息を吐いて、やがて風が声に変わる。
みずから肉体からおのれを引き離した荒ぶる魂は、地獄のこの第七の谷に投げ込まれて、森のなかの、たまたま落ちたところに根を生やし、やがて芽を出し、やがて木となる。するとこの谷に棲息する怪鳥ハルピュイアたちが葉をむさぼって苦痛に窓をあける。
死者は誰でも自分の亡き骸(なきがら)を求めて旅をすると言いますが、この谷に落ちた死者たちは、われとわが手で引きはがした肉体をまとうことは許されず、肉体を引きずってこの谷にいたり、その衣を棘の上に、すなわち、魂の呵責の上にかけるのだとか。
ダンテの地獄の樹木たちが、みずからの炎上を夢見た、とはどこにも書かれていませんが、そんな解放を仮にも想像することさえできないのが、ここの樹木たちの定めなのでしょう。
10月6日にかに座から数えて「意識の奥底」を意味する4番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたは、これ以上の地獄はないというシチュエーションとそこからの解放という図式のなかにみずからを見つけていくことになるかも知れません。
「もうこうなっては」を流さない
「限界状況」という言葉は、いささか大げさにも感じられますが、とはいえ、私たちが一生のうちで何度もぶつかっていかなければならぬ「もうこうなっては」とか「いよいよ」といった、ごく平凡な感覚や気持ちとも深く関係しているように思います。
そもそも私たち人間は、生・老・病・死という四つの苦しみを絶対条件として生存を許されているという点で、生まれながらの限界状況にある訳ですが、そのことでさえ私たちはイライラやメランコリーなどの一時的な気分や、晴れの日の次に雨の日が巡ってくるような出来事と同じように、いやなものだったり、気の迷いや心の弱さの現われとして、はね返し忘れ去ろうとする傾向にあります。
そうしなければ、日々の業務や生活は円滑に回らないし、意欲が衰えてしまうから。こうしたけなげさは、間違いなく人間のもつ特有の性質である一方で、私たちはいつも思ってもみなかった状況に置かれて初めて、思ってもみなかった自分を発見し、自分が人間であること、他人が人間であること、この決まりきった事実を突如まざまざと実感するのです。
その意味で今週のかに座もまた、「いよいよ」とか「もうこうなっては」といった限界状況を自分事として受け止め、深めていくことがテーマとなっていきそうです。
かに座今週のキーワード
運命を先回りすること