かに座
生きたり死んだりまた生きたり
関係性の詩学
今週のかに座は、アンドレ・ブルトンの『シュールリアリスム宣言』の一節のごとし。あるいは、月並な人選を控え、より大胆なご縁の結びつきを図っていくべし。
「イメージは精神の純粋な創造物である。それは比較することからは生まれず、多かれ少なかれ離れた二つの実在を接近させることから生まれる。近づけられた二つの実在の関係がかけ離れ、適切であればあるほど、そのイメージはいっそう強烈になり―いっそう感動と詩的現実性をおびるだろう……」
じつはこの発言はシュールレアリストからその先駆と見なされていた詩人ピエール・ルヴェルディのもので、ブルトン自身はこの見解をすぐさま否定して無意識的な「自動記述」を推奨する自説を唱えるのですが、ひとつの詩学としてはルヴェルディの見解の方がよりその面白さを説明できているように思います。
それは言わば「偶然性(意外性)の詩学」とも呼ぶべきもので、ルヴェルディは人間の思考や行動というものがいかに特定のステレオタイプやパターナリズムに陥りやすいものなのかということを、身に沁みて分かっていたのでしょう。
そして詩や文芸の世界というのは、そうした日常の言動や人間関係のありようを凝縮したものですから、「多かれ少なかれ離れた二つの実在」を「かけ離れ、適切である」ような仕方で「接近させること」というのは、やってみると想像以上に難しいのですが、それでも意識して狙ってやっていかなければ、偶然うまくいくことはあっても、技(アート)として向上していくことはないのです。
その意味で、7月28日にふたご座から数えて「原始偶然」を意味する8番目のみずがめ座に逆行中の木星が戻っていく今週のあなたのテーマは、「意味のある偶然をあえて狙って仕掛けていくこと」にあり、特に人と人との繋がりのなかでそれを実践していくことなのだと言えるでしょう。
一期一会
以前、死について語り合う座談会に参加したことがあります。そこでは参加者それぞれが自分の思う死についての観念や思い入れ、身近なエピソードなどを語っていったのですが、その実そこにいる全員が死とは何かを知りませんでした。
というのも、死について語ろうとする者は死そのものについて語れる訳ではなくて、あくまで自分にとって身近だった死、すなわち死者の記憶について語らざるを得なかったのです。そのために、死について語り合おうとすると、往々にして家族についての話となり、すると座談会は次第に生者の集まりから死者の集まりへとだんだんと反転していきました。
さらに、今はまだ生きている自分もやがて生の記憶を抱いて死者となる存在であることを自覚したなら、生きているか死んでいるかということは、存在の記憶が明滅している「現象」に過ぎなくなり、両者の区別もなくなったでしょう。「原始偶然」とはこういうことであり、関係性の詩学もまたそこから始まって、またそこへ帰っていくものであるという視点こそが大切なのかも知れません。
今週のかに座もまた、他の誰かへの喪失感やかなしみに触れていくなかで、かけがえのない他者との「一期一会」への感謝の念を思い出していくことができるかも知れません。
かに座の今週のキーワード
死と再生の仲介者としての「蟹」