かに座
波打ち際をたゆたう
人為と人工のはざま
今週のかに座は、「小春日を掃き残しけり並木道」(森住霞人)という句のごとし。あるいは、どうしても残ってしまうものを、ああ仕方ないなと愛でていくような星回り。
「小春日」とは冬にも関わらず天気がよくて暖かい一日のこと。銀杏並木でしょうか。落ち葉を敷き詰めたように広がっている道を掃いたら、石畳には小春の日差しが残った。ちらちらと揺れては遊ぶ子どものように、とそんな一句でしょう。
道とか庭というのは、誰かが人工的につくりあげた秩序ですが、放っておけば落ち葉が降り積もったり、ゴミがたまったり、苔が生えてきたりと、自然がはびこってきます。つまり、人為と自然の「波打ち際」にある訳で、自然からの侵襲から、日々人間が守り抜き、祓い続けていかなければならない。
ただ、そうした尽きせぬ営みの成果として残る人工物の変容を、味や風合いとして、人は割とポジティブに受け入れるものですし、その意味で、掃除はやはり掃きすぎては駄目なんですね。
掲句でもやはり、すこし掃き残した“余白”をつくることで、そこに木漏れ日がちろちろとはびこってくることを、「わびさび」と言うと大袈裟ですが、人の気持ちをそそるものがある。無常観に似た情緒が揺らいでいく訳です。
8日にかに座から数えて「精神の躍動」を意味する3番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分のなかに侵襲し、はびこってくる“自然”や“カオス”の部分を認め、受け入れてみるといいでしょう。
か身交ふ
例えば、人間の精神活動の本質にある「考える」という動詞はもともと「か身交ふ(かむかふ)」という言葉から来ているのですが、最初の「か」には意味はなくて、つまり「身」をもって何かと「交わり」、境界線をあいまいにしていくことで、そこに新たな思考を生みだし、精神の糧を見出してきたのです。
車の行き交う音や鳥の声、葉のそよぎに、月から漏れる柔らかな音楽。そういうものを見たり聞いたりしながら歩いているうちに、外なる自然と内なる自己が交わって、親密な関係となり、そこでひとりで部屋の中で考えているだけじゃ思いつかないようなことが引き出され、いつの間にかこれまでとはまったく異なる人生を歩んでいた。そんなことだってあるでしょう。
そういう意味では、人間だって媒介としての身体と、風のようにゆらめく私を生きているのです。つむじを巻いてはどこかへ吹き抜けていくとき、その風は身体を通して交わった者の思考をいつの間にか別次元へと連れ去っていく。
今週のかに座は、そうしていろいろなものと交わっていくことのできる可能性について思いを馳せてみるのもいいかも知れません。
今週のキーワード
連れ去り、連れ去られ