かに座
ありのままの世界図の回復
眼だけになること
今週のかに座は、「かりかりと蟷螂蜂のかほを食む」(山口誓子)という句のごとし。あるいは、眼だけの存在になってどこまでも冷徹に目の前の景色を見定めていくような星回り。
蟷螂(カマキリ)が蜂(ハチ)を食する景を、いかなる装飾も加えず、何の感情もはさまずに描いてみせた一句。
俳句表現が極限まで研ぎ澄まされるとき、そこには作者の眼だけが存在し、頭や四股やその他の部分はそれらの働き共々きれいさっぱり消え去っている。
目の前の対象の本質を過不足なく言葉にしてみせるその残酷なまでのまなざしの冷徹さは、ありのままの自然を鏡のように映しだし、それゆえに深い余韻をもたらす。
芸術の世界は道半ばの半端者であろうと、若かったり歳を取り過ぎていようと容赦はありません。ただ人間として至りえた高さのみが価値を定め、他のいかなる運命の偶然に対しても冷厳に突き放すのみであって、そこに芸の道の厳しさがあるのです。
それは何かを新たに付け加えるための修練というより、余計なものの一切を剥落させていくための修練なのだとも言えるでしょう。
21日に「自分自身」のサインであるかに座で先月に続き2度目の新月を迎えていく今週のあなたもまた、変化に対してどれだけありのままにそれを認識し、受け入れていけるかが問われていくはず。
生命は川の流れのように
1913年にアジア人で初めてノーベル文学を受賞したタゴールには、サンスクリット語で「生の実現」ないし「霊的な修行」を意味する『サーダナ』という著作があり、そこでは彼の大らかでありながら繊細な生命観が語られ、現代において「生命」というものを考える上でも実に示唆に富んでいます。
例えば、「われわれは至るところで生と死との戯れ―古いものを新しいものに変える働き―を見ている」という言葉には、死や老いや病いといったものは生命に付き従う影に過ぎず、われわれの生命は川の流れのように、無限なる海に開かれ続けているのだという彼の肉声が今にも聞こえてきそうです。
「生命が詩と同じように、たえずリズムを持つのは、厳格な規則によって沈黙させられるためではなく、自己の調和の内面的な自由をたえず表現するためである」
自分のなかの不調和な不自由ではなく、調和な自由を表現するためにこそ、私たちは日々、働き、家事をし、子を育て、詩を詠むのかも知れません。今週はそれらの日課ひとつひとつの手応えを確かめながら、自身の中の生命の流れを感じていきたいところです。
今週のキーワード
人間を中心に置いた世界図ではなく、人間も織り込んだ正しい世界図の回復