かに座
裏を表に
表裏一体としてのゼウスとヘラ
今週のかに座は、元型的な女たらしのゼウスのごとし。あるいは、創意工夫と飽くなき熱意によって、欲望の対象を求めていこうとするような星回り。
ギリシャ神話の主神(神々の王)であり天候を司る神ゼウスは、今日ではその業績よりも、どちらかというとその見境いのない浮気癖の方で有名かもしれません。
姉のヘラに惚れ込み、大恋愛のすえに結婚したにも関わらず、結婚直後から浮気に走り、その後も相手が神であろうが人間であろうが、手を変え品を変え、動物や相手の旦那の姿に変身してでも浮気をしまくり、その度に妻の怒らせ、傷つけあい、騙しあったゼウスは、現代の道徳観からすれば間違いなく非難の的になるはず。
しかし、彼と妻のヘラは、それでも別れることなくケンカをしては仲直りし続けました。その気になればさっさと別れてもっと心安らげる関係を求めればいいものを、なぜそうしなかったのでしょうか。
それはおそらく、ゼウスが創意工夫の権化であり、絶えず自分の理想を追い求め、世俗のルールやしがらみをもろともせずに自由に振る舞い続けるその姿が、強烈な想像力のシンボルであり、家庭と家族の神として、世俗の束縛やお堅い社会構造のシンボルであった女神ヘラと、表裏一体の関係にあったからではないでしょうか。
そして今のあなたもまた、どこかで型にはまってきた自分を崩していこうとしているのだと言えます。
その意味で、今週は常に想像力に富む人生を追い求めるゼウスの不良もまた、人生に不可欠なのだということを、改めて念頭に置いていくといいでしょう。
私を殺し、私を創る
批評家の安藤礼二は、江戸川乱歩は作品を書くことを通じて「女」になろうとしていたし、そのために「私」を徹底的に分断して、自らの想像力のみを駆使してまったく新しい理想の「女」として再構築していったのではないか、という指摘をしています。
「女になること。その場合の女とは、肉体的な現実をもった女ではない。乱歩の「女」とは、生物学的な「差異」でも、制度的な「差異」でもない。逆にその「女」はさまざまな「差異」を生み出す地平、絶対的な「官能性」とでも名づけるほかない領域に存在する。それは森羅万象のすべてを官能として受容する純粋な感覚世界の新たな想像であり、その感覚の全面的な解放である。」(安藤礼二、「鏡を通り抜けて 江戸川乱歩『陰獣』論」)
乱歩ほど徹底的に実行できるかはさておき、今週のあなたにもまた、「私」を再構築することへの鬼気迫る情熱のようなものを感じてなりません。
自分が制度や生物学的な分類を超えたところで、一体何を望んでいるのか。今はその夢想の根底へと一歩ずつ、しかし着実に歩を進めていくことです。
今週のキーワード
両性具有