かに座
物語を紡ぐ者として
敗者たる矜持を持て
今週のかに座は、博打に負けて裸にむかれてしまった人間のごとし。あるいは、図らずも真実の物語を紡いでいく「語り部」となっていこうとするような星回り。
歴史は勝者によって書かれ、作られるということがしばしば語られます。
例えば、幕末から明治にかけ、新政府軍と旧幕府軍とのあいだで起きた戊辰戦争においても、敗れた諸藩の出身者たちはあらゆる新階層秩序から排除されたことはよく知られているところでしょう。
ですが、一方で私たちは時おり思いだすのです。
「歴史をかえてゆくのは革命的実践者たちの側ではなく、むしろくやしさに唇をかんでいる行為者たちの側にある」(寺山修司、『黄金時代』)
のだということを。
つまり、「敗者」がいてこそ歴史は成り立っていくのであり、その意味で「敗者」こそが産婆のごとき役割を担って、真実というものを人びとの記憶に刻んでいくのだということ。
もちろん、最初から自分から敗者になろうとするような人はいないでしょう。ゆえに、自身の存在を語る上で強化法や自身の利得ありきでいることが許されなかった、「図らずも犠牲になった」者たちの一部が「語り部」となることで、「歴史」に対抗しうるような「物語」がそこではじめて紡がれていくのです。
上弦の月を含んだ木星と海王星の4惑星で天に十字架を形づくっていく今週は、そんな視点から自身の立場というものを改めて考えてみるといいかもしれません。
額縁を決めること
19世紀の哲学者アミエルの日記に、次のような一節があります。
「五十歳までは、世界はわれわれが自分の肖像を描いていく額縁である。」
そうだとすると、私たちは人生のほとんどを本体である絵ではなくて、脇役であるはずの額縁づくりに費やしていることになる訳ですが、これは案外その通りであろうと思います。
というより、絵を描いてから額縁を探すのではなくて、絵を納めることになる額縁=人生のアウトラインや枠組みの決定をしてから、絵すなわち人生という物語やその内的意味を語っていくことができるのではないでしょうか。
50歳なんてまだまだずっと先の話だよという人も多いでしょう。ただ、これは文字通り受け取る必要はなくて、おそらくアミエルの設定の意図も、人が十分な「敗戦」経験を積み切ったと言えるのがそのあたりだということ。
けれど、幸か不幸か、現代社会というのはアミエルの生きた時代より、ずっと「敗け」る機会は多いのです。今週はよくよく自分が重ねてきた「敗け」から、どんな物語を紡ぎえるのか、じっくり考えてみるといいでしょう。
今週のキーワード
敗けはあってこそ物語が引き立つ