かに座
心を研ぎ澄ませる
古代人的感性
今週のかに座は、「ひらひらと春鮒釣れて慰まず」(大井戸辿)という句のごとし。あるいは、つかみどころのない生々しいふれあいを求めていくような星回り。
春の鮒は釣りやすい。小さな子供でも簡単に釣れてしまう。だから、大のおとなが「ひらひら」とたやすく釣ってみせても、それじゃは何の手ごたえもなく、慰めにもならないのだろう。
「他の人から見たら十分しあわせじゃない」とか、一般的に「恵まれている」とされる状況にいたとしても、なぜかこうした「慰まず」という心理に至ることは珍しくない。
そういう自分の方がおかしいんじゃないかと疑ってみせるだけの謙虚さは大切ではあるけれど、かに座というのは12星座の中でも古代人的な特徴が強い人たちであり、現代社会で通用してしまうような常識の枠内にはまず当てはまらないのだということも思い出していきたいところ。
「古代人」という語は文脈によってさまざまな意味を持つが、ここでは生命を理解することにおける“つかみどころのなさ”への受容性と言ってもいいかもしれない。
つまり、自分の理解の範疇を超えたものとふれあい、まみれていくことに喜びを感じていけるか、それとも恐れや不安が勝ってしまうか。そこのところが、今週はあなたなりの実感を通して改めて問われていくはずです。
震える少年の心
「ジョエルの心はとびきり澄みきっていた。それは世界が入ってくるのを待っているカメラの焦点のようだった。壁はこまやかな十月の落日に橙色に光り、窓は冷たい季節の色に染まったさざ波の立つ鏡だった。
その窓のひとつから、誰かがこちらを目だけで見つめている。全身は黙りこくっていたが、その目はわかっていた。それはランドルフだった。まばゆい夕映えはしだいにガラスから流れ去り、あたりは黄昏のとばりでうずまっていく。けれども、そこには淡雪が舞っているようにも見えた。雪は雪の目を、雪の髪をかたどりながら、まるで白いかんばせ(顔)のように微笑んだ。」
ここでは主人公のジョエルがどんな少年で、ランドルフという青年がいかなる経緯でジョエルを見つめることになったのか詳しくは説明しません。
これは、戦後のアメリカ文学界に弱冠24歳で彗星のように登場したトルーマン・カポーティーの処女作『遠い声・遠い部屋』のラストシーンで、アメリカのゲイカルチャーを大きく揺り動かした作品でもありました(執筆時は22~23歳)。
しかしそれにしても、避けることのできない出会いや別れというのは、なぜこうも心を打つのか。それは怠惰とは対極の震えるような少年の心が、ありのままの姿でそこに立ち現れてくるからでしょう。
今週のあなたもまた、できるだけ余計な虚飾やポーズを捨てて、そうした“ふれあい”に身を任せていきたいところです。
今週のキーワード
怠惰か、震えか