かに座
裸のお付き合い
等身大の自分へ
今週のかに座は、「目覚むれば裸の女もの書ける」(榮猿丸)という句のごとし。あるいは、誰か人と繋がらざるを得ない自分自身を、まっすぐに見つめていくような星回り。
愛欲をテーマに詠んだ句というのは、どこかこう「私を見て」という過剰な自意識や不必要な力みを感じてしまって素直に入ってこないことが多いのですが、掲句のようにエロい状況を見ている、その状況下に自分がいるだけ、というある種の客観写生のクールさがそこにあると、不思議と気分が悪くならないものだなと感じます。
起き抜けにベッドの向こうにある机で仕事をしているのか。あるいは、ベッドの上で体を起こして手紙でも書いているのか。
いずれにせよ、「ものを書ける」女の真剣さと、その女が裸であるという事実のあいだに横たわっている決定的な“スキ”がすぐそこにあって、それを見ている作者もまた「裸」なんだろうということは伝わってくる。
取り繕って「私は平気です」と言わんばかりの人間も、虚飾を削ぎ落とせば、そこには裸があって人肌の気配がして、寄り添わずにはいられない弱さや脆さがある。
今週のあなたは、まずそうやって自分の愛欲さえも写生していくことで、等身大の自分に帰っていくことがテーマとなっていきそうです。
はらわたをつかむ
例えば服のセンスよりも、香りのセンスがいい方が好感度が上がりやすいという話を聞いたことがありますが、これはとても大事な教えです。
誰かと深いところで繋がろうと思ったら、外側から見える記号で相手をくくったりするのではなくて、できるだけ直接体感した情報から相手のことを想像したりさせたりすることが大切なのだそうです。
それをここでは「内蔵の感受性」と呼んでおきたいと思います。
東京芸術大学で体育の先生をしていた野口三千三氏は独自の体操理論や人間哲学で知られた人物ですが、彼は絵を描くにも歌を歌うのにも「内臓の感受性」が基本となると考えていたようです。
そして、それを高めていくために、まず生徒へ“はらわた”をつかんでもらう”ことが先決だと、「家に帰ったら新聞紙でもひき、その上にしたものを両手でつかみなさい」というような課題を出したのだとか。
今週のあなたは些細な対人関係の中で、どこまでディープな感性を使っていくことができるかが問われていくでしょう。
それを実践していくには、まず自分の匂いに自覚的になったり、等身大の自分というものを把握していくことが不可欠なプロセスなのだと言えます。
今週のキーワード
原初生命体としての人間(野口体操の理論)