かに座
生活の中心に据えるべきもの
ソウルフードかくのごとし
今週のかに座は、森亮の「野菜サラダを食べたあとで」という題の詩のごとし。すなわち、洗練された生の充実へと誘ってくれる、口腹の楽しみを謳っていくかのような星回り。
戦前の、おそらくは昭和10年代はじめに書かれたこの作品は、詩人のはじめての作品だったといいます。いきなりですが、引用してみましょう。
「野菜サラダを食べたあとで
下宿先のさびしいサラダです。
縦に真ふたつにきられた卵は日本画の朧月。
馬鈴薯(じゃがいも)にまだらにまじった薄桃色のソーセージ。
その細切りの一片を取り出して舐めると
気の抜けた甘い味がする。
たまたま噛み当てた卵の殻を
まゝよと噛み砕く、
これがわたくしの夕暮れの勇気です。」
当時としてはまだ珍しかったじゃがいもの舌触りや香りが彷彿として、いかにも戦前の家庭のつつましくはあるが、ちょいといきなの‟いき”な感触を味わわせてくるようで、なんとも嬉しくなる作品です。
人生いかに生くべきかという倫理の問題も大切ですが、同時に生きるというのは、まさにパンによって生きることで、そのパンの効験について、具体に即して書かれたものには一種の魔力が宿るように思うのです。
今週のあなたもまた、みずからにどんな魔力を注入するべきか。あるいは自らのソウルフードとして何を選ぶかというところから、生きるということの根本を考え直してみるといいかもしれません。
生活の大黒柱
現代というのは「父親不在」の時代であって、社会も人もどこかで常に父的なるものを求め続けています。
これは言い換えれば、何をおいても1家に1台これがあれば生活は回ると言えるものを持ちえるか、ということが問われているのだとも言えます。
つまり家というのは、代をくだるに従って核分裂していくものですが、「父親不在」の時代というのは、次の世が近づくにつれて、だんだん何を「1家に1台」として持つべきなのかが不明確になってきてしまったという事情が背景にあるのではないでしょうか。
今週は自分の生活のの中心に具体的に何を置き、そこから自分はどんな恵みを受けていきたいのかということについて、改めて考えてみるといいでしょう。
今週のキーワード
魂の主食