
おひつじ座
人間業ではない

超時代的な笑いへ
今週のおひつじ座は、『少年や六十年後の春の如し』(永田耕衣)という句のごとし。あるいは、思考と感性が革まる生の歓びにじゃぶじゃぶ浸かっていこうとするような星回り。
この句を詠んだとき、作者は72歳。60年前の春、確かに自分は少年だった。そして、今自分はすっかり老人になってしまった。しかし、この句の本意はあきらかに「もう戻れない過去としての少年を老人が懐かしむ」といった常識的観点の破れ目の外にあります。
ここでは「12歳の少年」と「72歳の老人」は60年という歳月の流れにも関わらず、同じ春を生きている。それは超時代的な笑いを誘発する驚くべき発見であり、思考と感性とが革まる際に湧き上がる創造的快感への浸り=生の歓びに他ならなかったはず。
作者は「青春賛美すべし。老枯侮蔑すべからず。共に謙虚に讃うべきである。然らざれば生命の全貌的深部に透徹しえないであろう」(『二句勘辨』)とも書いています。
ただし、ここで「共に讃うべき」と言っているのはそうするのが正しく、これまでもずっとそうされてきたし、これからもそうあって当然というような話などではなく、むしろたまたま目の前を通り過ぎようとした瞬間、無謀なまでの勇敢さで、そうした事態を捕まえにいかねばならないといったニュアンスであり、掲句はそんな冒険的試みのまったき成果だったのではないでしょうか。
その意味で、4月18日におひつじ座から数えて「創造的快感」を意味する5番目のしし座へと火星が移っていく今週のあなたもまた、そうあるのが「当然な美しさ」ではなく、「ありえない美しさ」をみずから捕まえにいく姿勢を強めていくべし。
土井さんの料理論
料理家の土井善晴さんは「おいしいもの」を人間が作るという考え方を否定し、「おいしさ」とはやって来るものであり、「ご褒美」なのであり、料理する人間とは、素材と料理の媒介に過ぎず、自然に沿いながらそれを整えることしかできないのだと語っています。
まずは、人が手を加える以前の料理を、たくさん体験するべきですね。それが一汁一菜です。ご飯とみそ汁とつけもんが基本です。そこにあるおいしさは、人間業ではないのです。人の力ではおいしくすることのできない世界です。みそなどの発酵食品は微生物がおいしさをつくっています。ですから、みそ汁は濃くても、薄くても、熱くても、冷たくても全部おいしい。人間にはまずくすることさできません。(「家食増えるいま聞きたい 土井善晴さんの『一汁一菜』」朝日新聞デジタル)
つまり、「こんなおいしいものを作ったのは私だ」というのは思い上がりであり、むしろお料理を置いたらそこに人間が残ったらいけない、おいしさや美しさを求めてもいけないのだと。そうではなく、ひたすら淡々と仕事をしていくと、結果的にそこに「おいしさ」や「美しさ」が現れたり、宿ったりしていくのだと言うのです。
今週のおひつじ座もまた、何に関わるにせよ「自分が創る」のだという姿勢とは真逆の、淡々と整え、媒介し、「自分の業をなくす」姿勢を大切にしてみるといいでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
生命の全貌的深部に透徹していくこと





