
おひつじ座
困難な不服従を

極楽の文学
今週のおひつじ座は、『この池の生々流転蝌蚪(かと)の紐』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、密かに心に決めたことをただ行動で示していこうとするような星回り。
自宅の池を見ていての一句。「蝌蚪の紐」とは、長くてぬるぬるした帯状のカエルの卵のことで、昔は「数珠子」とも呼ばれていたようです。ここでは、今年もまたおたまじゃくしが卵から孵化したことを、素直に喜んでいるのでしょう。これは一見きわめて素朴で、子供のように無邪気な振る舞いのように見えますが、そうではありません。
この世のすべてのものは、時の流れとともに絶えず生まれ変わり、移り変わりしていく(生々流転)のが真理であったとしても、どうしたって変化を拒絶し、過去に固執したり、未知の訪れを怖がったり無視するのが人間の公々然たる事実であり、生の実情というもの。
それを超えていくには、過ぎ去っていったものへの諦念と、新たにめぐり来つつあるものへの好奇心とを同居させていかねばならない。
その意味で、自然の移り変わりに逆らわずに生きていくということは、消極的で受け身な態度のように見えても、じつはその逆で、相当な意志や覚悟がないとできることではないのです。
作者はここでそれを露骨にひけらかすことはしていませんが、自身の俳句観を「極楽の文学」と称し、「いかに窮乏や病苦にあっても、心を花鳥風月に寄せることで極楽の境に心を置くことができる」ことを常日頃から大切にしていました(『虚子俳話』)。
4月5日におひつじ座から数えて「立脚点」を意味する4番目のかに座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、SNSなどで声高に何かを言わんとするよりも、ただ淡々と「示す」ことに徹していきたいところです。
良心的命令無視兵士
現代史、特にホロコーストの研究で知られる歴史家のクリストファー・ブラウニングは、ごく平凡な市民で構成された第101警察予備大隊が、無抵抗なユダヤ人の大虐殺に短期集中的に荷担した事実にとどまらず、その心理にまで踏み込んで次のように述べています。
ひとたび状況に巻き込まれると、人びとは、不服従や拒絶を一層困難にする、一連の「拘束要因」ないし「凝固メカニズム」に直面する。状況の進行は、新しい、あるいは対立するイニシアティヴを採りづらくする。「状況的義務」ないしエチケットは、拒絶することを、不適切で、無礼で、義務に対する道徳的違反であるとさえ思わせる。そして、服従しないと罰を受けるのではないかという社会化された不安が、さらに抑止力として働くのである。
こうした一連の集団心理はいつの時代も「普通の人びと」にはつきものですが、特に昨今の日本社会においては、先の記述の中にあるような「社会化された不安」に身動きを封じられないよう、特に警戒していく必要があるのではないでしょうか。
今週のおひつじ座もまた、みずからを取り囲んでいる雰囲気にどのように向き合い、みずからの立場や態度をいかに公的に示していくかが一つの大きなテーマとなっていくはず。
おひつじ座の今週のキーワード
自然に逆らわずに生きていく





