
おひつじ座
痛みと不快と

半人前ほど痛みが足りない
今週のおひつじ座は、お守りとしての「無力感」のごとし。あるいは、鋭い痛みを覚えるような苦々しい体験をあえて自分に打ち込んでいこうとするような星回り。
犬が飼い主をありえないくらい待ち続けるみたいな、妙に予定調和な感動が用意されている映画で泣く人がいるけど、どうもナルシシズムと優しさの懐具合のようなものを見せつけられてしまったようなバツの悪さを勝手に感じてしまうことがある。
ナルシシズムというのはある種の自己評価の高さの証しであって、そのおこぼれが他者への優しさとなって発揮されていくのだとしら、優しい人って基本ナルシストだよねという話。
それが悪いってことではないんだけれど、どうもそういうドラマチック脳みたいなのが行き過ぎると、普段ほとんど会話すらしたことないような同じ職場の人間が心身を病んで休職してしまっただけで「どうして自分は助けられなかったんだろう?」みたいに自分を責めだしてややこしいことになる。
自分は尊いものでなきゃいけないって感覚が染み付いちゃってるんだろうね。でも、それが限度を超えるともう優しいというより、分をわきまえていないだけの半人前だろうと。要は、無力感に蹂躙されるような体験が足らないんだ。
それは痛みに近いものであり、もちろん歓迎すべきものではないし、とても苦々しい体験ではあるけれど、他者に対して「自分にはできない」という確たる根拠となって、無理だと言えるようになることで、致命的な失敗を免れることができる。自分は人を助けることができると言って、死なせてしまうような真似はしなくて済むわけだ。
3月14日におひつじ座から数えて「自己否定」を意味する6番目のおとめ座で月食満月(大放出)を迎えていく今週のあなたもまた、あえてゲスい話でも披露していきたいところ。
不快を原動力として
幼児の天使性が最大になる瞬間は、間違いなく彼らが顔に微笑みを浮かべた時だろう。心理学者ルネ・スピッツは、そうした彼らの微笑みがどこから出てくるのかを「アナクライズ(anaclyse)」という概念を使って説明している。
生後間もない幼児は、身体的な温かさや授乳を求め、お母さんに近づいていく。そして、自分のくちびるがお母さんの乳房に接触した瞬間に、彼らは表情に笑みを浮かべる。
スピッツはこのプロセスの始まりを、子供が母親の胎内にいたときに与えられていた条件が、外界に出たときに「欠けた」と認識した瞬間に求めた。幼児が泣くのは、その不快を表現するためであり(「何かが足りない」)、不快感を原動力にして元の状態を回復しようと、母親へと自分の欲望を向けていく。この幼児の呼びかけを「アナクライズ」と呼ぶのだ。
幼児の欲望は、母親の乳房といういわば柔らかいクッションに接触した瞬間に、四方八方に波となって広がっていく。そしてこの波の広がりを、幼児はあの笑いに変換しているのだと。つまり、幼児特有の天使のような微笑みは、不快感を原動力にした回復への欲望に端を発するものであり、それは彼らの負った運命的な欠損に対する反動でもあった訳だ。
これほど純粋で、知的判断を排した動機はないのではないか。そして、もしかしたら、今週のおひつじ座が求めている体験というのも、そうした回復への欲望を欲望することなのかも知れない。
おひつじ座の今週のキーワード
天使の微笑み





