
おひつじ座
重力に逆らうために

重たいしがらみから脱して
今週のおひつじ座は、『鶯や餅に糞(ふん)する縁の先』(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、みずから率先して「軽み」を体現していこうとするような星回り。
「春告鳥(はるつげどり)」という異名のある「鶯(うぐいす)」は、歌を作るならその鳴き声ののどかさについて詠むべきであるという、中世以来確立されてきた“原則”があり、それは作者が生きた江戸時代当時においても厳然たるしきたりとして生きていました。
作者はそうした観念的で「新らしみ」がどこにもないような句づくりの脱皮の方法として、対象とかかわりのある別種の対象を発見してきて、一句のうちに2つながらを形象化する「掛け合わせ」を試みたのです。
句意としては、うぐいすはうららかな春の陽射しを思わせる鳴き声を聞かせるだけでなく、ぽかぽかと日当たりのいい縁側にほしてある餅のそばまで飛んできて、そこに糞を落としていったというのです。
和歌にはなかった「糞を詠む」ということだけでも革新的なのですが、糞といってもうぐいすの糞は化粧品の材料にもされていましたから、糞の中でも別格であり優雅な趣きは崩れていません。
とはいえ、作者の狙いはそうした細かい道具立てのスペックにある訳ではなく、春のうららかな庭先の風情にあり、それを誰もがくすっと笑えるような「軽み」をもって詠んでいる点にあったのではないでしょうか。
2月21日におひつじ座から数えて「哲学」を意味する9番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、視点は高いところに置きながらも、ユーモアを忘れずに「新らしみ」に開かれていきたいところです。
俳句のカウンター性
先の芭蕉もその典型でしたが、そもそもも俳句というのは決して王道を歩いて真っ向勝負をしていく代わりに、いったん離脱するとか、斜めから切り込むとか、そういう「対抗するもの」としての本質がある前衛芸術(まともな男子が一生の仕事としてやるものではないと考えられていた)として興ってきたものでした。
ただ、時代が進むにつれ、そうした高度な哲学性と技巧性を融合させた作品づくりが難しくなっていった中、明治時代において俳句革新を志し、俳句と短歌を日本近代詩として刷新した正岡子規などは、自身の長い病床生活がそのカウンター性の鍵となりました。
結核からカリエスを患って、35歳の若さで亡くなるまので7年間は根津の一軒家でほとんど寝たきり生活を送ったのですが、そこでは生活空間が極端に狭くなりました。子規はそれを逆手にとって、目に映るわずかな空間を細密画を描くように、ものすごく微細に詠んだり、幽体離脱のように自分の体を脱け出して、実際には見えるはずのない庭の光景を詠んでいくことで、芭蕉とは異なる道を開拓していったのです。
いずれにせよ、新しい道を開拓していく際には、何らかのハンデを負いながらやるというのがやり方の常だった訳ですが、今週のおひつじ座もまた、自分なりの対抗的アプローチを見出していくことがテーマとなっていくでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
日常こそが最大の勝負の舞台





