おひつじ座
波と浮き輪
人生という山道の途中で
今週のおひつじ座は、『温泉(ゆ)にとめし眼を大切や秋の山』(前田普羅)という句のごとし。あるいは、二度と見失わぬよう何か誰かを脳裏に刻みつけていこうとするような星回り。
ある秋の山道を登ってゆきつつある時の情景。そして、はるか彼方の山の中腹あたりに温泉の建物をみとめて、はたと足が止まった。
もともとそこを目当てにしての登山だったのか、偶然の発見なのかは分かりませんが、とにかく「ここを目指して歩いていこう」と決心したのでしょう。というのも、山道というのは大抵はまがりくねっていますから、さっきまで真正面に見えていたはずの建物がいつの間にか視界から消えてしまったかと思うと、道を曲がったとたん唐突に出現したりということを繰り返していきやすいからです。
私たちが人生においてしばしば、大切なものを失って初めて気付いていくのと同様の事態を今まさに自分が繰り返さないように。ここで作者は「とめし眼を大切や」と言うことで、今度こそあの温泉を見失わないように行かねばならぬと自分を戒めているわけです。
翻って、今のあなたにとって、もう二度と見失いたくないもの、たどり着かずに終わりたくないものとは、いったい何でしょうか。
10月24日にはおひつじ座から数えて「愛するもの」を意味する5番目のしし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたは、そんな再発見や再認識の瞬間を迎えていきやすいはずです。
ウルフの迷子感覚
20世紀を代表する女性作家のひとりであるヴァージニア・ウルフの長編小説『灯台へ』に、次のような一節があります。
晴れた夕方の四時から六時くらいに家から足を踏み出すとき、わたしたちは友人が知っているような自分を脱ぎ捨てて、洋々とした匿名のさまよい人の群れに加わる。自分の部屋で独り過ごしたあとでは、彼らのつくりあげる社会はとても心地いい。(…)その一人ひとりの人生に、わたしたちはほんの少し身を浸すことができる。自分はただひとつの精神に縛りつけられているわけではない、二、三分の間であれば他人の心身に扮装していられるのだ、という幻想を抱くにはそれで十分だ。(御輿哲也訳)
家から遠く離れた異国にいる際に湧いてくるような心許なさや突如迷子になってしまったような感覚は、意識のゆらぎやうつろいに敏感でそれを言語化することに長けたウルフにとってはより身近なものであり、彼女は例えば何気なく近所の通りを歩いているときや、家族が団欒している居間の隅で椅子に腰かけているときですら、そうした感覚を感じ取っていたようです。
しかし、精神的な負荷がかかって、住み慣れたはずの環境に耐えられなることで、波にさらわれる浮き輪のように精神がどこかへお出かけし、方向感覚を失ってしまうその瞬間は、同時に無限に続いているような地平線と自己が地続きにあると思える瞬間でもあったはず。
今週のおひつじ座もまた、そうしたウルフ的な迷子感覚に浸っていくぐらいのつもりで、「さまよい人の群れ」に加わってみるべし。
おひつじ座の今週のキーワード
「とめし眼を大切や」