おひつじ座
アホになっていく
渾身の突き手
今週のおひつじ座は、『跳箱の突き手一瞬冬が来る』(友岡子郷)という句のごとし。あるいは、溌剌(はつらつ)とした若々しさがにわかによみがえってくるような星回り。
冬の初め、小学校の生徒たちがつぎつぎと跳び箱を飛んでいくのを眺めていて、ふと口を衝いて出たような句。冷たい空気にじかに肌をさらした格好で、寒さをものともせずに、目の前にそびえ立つ障害物に突進していくその姿に、素直に感心したのでしょう。
確かに、大人になるといつからか上着を重ねて完全防備するのが当たり前になりますし、運動さえ滅多にしなくなってしまうはず。特に、突き手をぐーんと体が追い越していく際の“軽やかさ”や“伸びやかさ”のようなものは、仕事と家を往復する日々などを送っていると、想像する機会すらなくなってしまうのではないでしょうか。
休み時間に賑わう学校の校庭にも、灰色の雲が立ち込めるオフィス街にも、誰のもとにも等しく冬の北風は吹いて来る。しかし、そこでマフラーを巻きコートの裾をぎゅっと握りしめてやり過ごそうとする人もいれば、ものともせずに真っ向から駆け抜けていこうとする人もいるのだ。
11月27日におひつじ座から数えて「ドラえもんの空き地」を意味する3番目のふたご座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、掲句に出てくる小学生になったつもりで、渾身の突き手を決めていきたいところです。
百閒先生はゆく
用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。そうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔付きは嫌いである。
これは『特別阿房列車』という内田百閒の実体験に基いたエッセイの冒頭部分。確かに「用事がなければどこにも行ってはいけないと云うわけはない」ですが、この先生、どうにも相当やり手の「阿房」なのだ。
一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になった原因に色色あって、道楽の挙げ句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云うのは性質のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払えないと云うのは最もいけない。
今週のおひつじ座もまた、そんな百閒の爪の垢でも煎じて飲んでみようではありませんか。
おひつじ座の今週のキーワード
「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大坂へ行って来よう」