おひつじ座
断絶をこえて
遠く離れたひぐらし2匹
今週のおひつじ座は、『蜩(ひぐらし)のなき代わりしはるかかな』(中村草田男)という句のごとし。あるいは、時を超え場所を超えて何かを継いでいこうとするような星回り。
夕暮れ時に、近くの木立で「蜩(ひぐらし)」が鳴き継いでいるのである。すなわち、1匹の蜩が鳴き終わると、それを察知していたかのように、別の蜩が鳴き始めていく。カナカナカナカナ、カナカナカナカナカナと。
まるで、ひぐらしが沈黙してしまうことが、彼らの存在そのものの死滅を意味しているかのように。次々と鳴き声が連鎖していくことは、まだ終わっていない、まだここに自分はいるのだと夏という季節自体が訴えているかのようにも思える。
少なくとも、ひとつが鳴き終わると、別のひとつが鳴きだすのは偶然ではないはず。そうして、「はるか」な距離を隔てたひぐらし同士が交感に打たれつつ、夏=いのちの脈動を密かに支え、初秋の日暮れの光がそれをやわらかに包んでいる。
翻って、人間は、わたしは、何を継いでいるのか。その点で、24日におひつじ座から数えて「広報」を意味する9番目のいて座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が何に呼応しようとしている存在なのか、改めて問うていくべし。
古い夢を見続けるために
宗教学者の中沢新一は、世田谷区代田橋について綴った短い文章のなかでこの町を「けなげな町」と評しましたが、それはこの町が「自分の身体が健康だった頃の記憶をなくしていないで、その記憶を頼りに夢を見ながら、現実を乗り越えようとしているようにさえ見える」からという理由でした。
今では甲州街道と環七の交わるポイントにあり、京王線の線路の脇にひっそりと神社がある他は、駅前の飲み屋街や沖縄タウンがあるだけのこの土地ですが、電車や自動車も走っていなかったはるか昔には、このあたりはちょっとした聖地だったのです。
赤松で覆われた小山の北と南の2か所にうがたれた小さな谷は、中世の頃には「モリ」と呼ばれる死者の埋葬地となり、のちに南は羽根木神社、北は大原稲荷神社と呼ばれました。ところが、大原稲荷神社からのびる参道は近代化の過程で線路でまっぷたつにぶち切られ、線路の向こう側の商店街も聖なる中心を失ったまま、取り残されてしまったのだと。
それでも、毎年9月半ばに行われる神社の例祭に結集する古くからの町の住人は、祭礼の間中、踏切はないものと幻視することに決めることで、稲荷神社をこの町の精神的中心を置き直し、そこからまっすぐ玉川上水までつづく参道を一時的に復活させることで、近代の開発のもたらした傷や断絶を修復し続けているのです。
同様に、今週のおひつじ座もまた、そうした「けなげさ」や「やさしさ」をできるだけ取り戻していきたいところ。
おひつじ座の今週のキーワード
土地の見る夢と接続していくこと