おひつじ座
頼るべきは友の声
おかげさま
今週のおひつじ座は、マッキンタイアの友情論のごとし。あるいは、互いのケアに頼ることを許しあえるような関係性としての友情を再確認していこうとするような星回り。
アリストテレス以来、自立的で“強い”人間像に基づいた人間関係のもっとも純粋な形として友情は語られてきましたが、赤ん坊や老人に限らず、誰もが他者や周囲の助力なしには生きていくことが困難となりつつある現代社会においては、そうしたリアルとは合致しない伝統的な友情観は大幅なアップデートを迫られているように思います。そこで注目したいのは、人間を孤立し自足した強い個人ではなく、傷つきやすく障碍(しょうがい)を抱えうる動物として扱おうとする現代スコットランドの哲学者マッキンタイアの友情論です。
私たちヒトは、多くの種類の苦しみ(受苦)に見舞われやすい(傷つきやすい)存在であり、私たちのほとんどがときに深刻な病に苦しんでいる。私たちがそうした苦しみにいかに対処しうるかに関して、それは私たち次第であると言える部分はほんのわずかしかない。私たちがからだの病気やけが、栄養不良、精神の欠陥や変調、人間関係における攻撃やネグレクトなどに直面するとき、私たちが生き続け、いわんや開花しうるのは、ほとんどの場合、他者のおかげである。(『依存的な理性的動物―ヒトにはなぜ徳が必要か―』)
日本社会には、他人の手を借りることを“恥”と受け止め、そういう“例外”はなければないほどよいとする考え方が根深く残っていますが、マッキンタイアはむしろそうした他人の助けなしには人生などありえないのだと真っ向から批判する立場に立った上で、助けてくれる他者=友だちへの依存を通して、本人のなかに潜在する善が、個性や長所として発揮されることを「開花」と呼んでいます。
もちろん、そうした「開花」の先には自立的な状態もあり得る訳ですが、自立は依存なしには成り立たないという順序を私たちははき違えてはならないし、自分が何者であるかが疑わしくなったときは、いつだって友だちの声に頼っていい。それはきわめて健全な依存なのだ、ということをマッキンタイアは繰り返し強調しています。
その意味で、8月2日におひつじ座から数えて「ネットワーク」を意味する11番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分の善について思いを巡らせるためにも、積極的に友だちとの「対話」に時間を割いてみるといいでしょう。
イワンの開花
例えばドストエフスキーの大長編小説『カラマーゾフの兄弟』に、理詰めの無神論者であることを自他ともに認める次兄イワンが、敬虔(けいけん)な信仰心の持ち主である末弟アリーシャに対して、次のようなことばを漏らすシーンが出てきます。
生きたいよ。おれは理論に逆らってでも生きるんだ。たとえ事物の秩序を信じていないにせよ、おれにとっちゃ、春先に<芽を出す粘っこい若葉>が貴いんだよ。
この不意打ちのような一言によって、読者は無神論者であるはずの彼の心の奥底に、じつは生命的なものへの愛が潜んでいることに気付く訳ですが、これなどはまさにマッキンタイアの言っていた開花の好例と言って差し支えないはず。
そして、最初から篤く神の摂理とこの世界の秩序を信じているアリーシャの口からでなく、イワンの口から発せられている点に、人間の複雑さに対する、ドストエフスキーの厳しくも優しい眼差しが感じられます。願わくば、今週のおひつじ座もまた、みずからの関わりそのものにそうした眼差しを向けていきたいところ。
おひつじ座の今週のキーワード
「私たちが生き続け、いわんや開花しうるのは、ほとんどの場合、他者のおかげである。」