おひつじ座
丁寧にまなざしていくために
不思議という他ないもの
今週のおひつじ座は、『ナイターに見る夜の土不思議な土』(山口誓子)という句のごとし。あるいは、深く受けとるように何かを見るということを実践していくような星回り。
煌々たるライトに照らし出された夜の球場は、テレビを通して見ていたつくりものの光景とはまるで違っていて、妙なリアリティを伴った別世界に感じられたのでしょう。
もちろん、掲句が詠まれたのは人工芝などない時代ですから、芝も土も自然なものであったはず。それでも、普段なら特別注意して意識することもない、何の変哲もない土が、ナイターの光に照らし出されている様子は、「不思議」と言う他なかった訳で、作者は「不思議」という言葉の響きと目の前の光景とを見比べながら、ここで何度も「土」の実感を味わい直しています。
ひるがえって、私たちは普段顔をつきあわしている相手であれ、書類であれ、光景であれ、きちんとその対象を見ているのでしょうか?すなわち、そもそも私たちはほとんどのものを見ようともしていないし、何か見るべきものが目の前にあるということは、積極的に見ようとしている場合に限られるのかも知れません。
6月26日におひつじ座から数えて「向きあうべきもの」を意味する7番目のてんびん座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、積極的に見たくなるものの目の前にすすんで足を運んでいくべし。
連れ出された先にあるもの
2010年代には「建築を開く」ということがよく言われていて、例えば地域の人が何気なく集まったり、遊びに来たりできるようなコミュニティスペースを作りました、といった取り組みが盛んに為されていました。
そこでは、こざっぱりした人たちがおしゃべりしながらワインなんかを飲んでる光景が写真に撮られ、それがメディアで広められ、次々に似たような光景が複製されていった訳です。一方で、「連れ出す」とか「連れ出された」といった言葉を建築に適用されるシーンを考えてみると、それはメディア化された世界の外へとさらに開いていくということで、そうすると建築は生活にまみれざるを得なくなっていきます。
例えば、先のコミュニティスペースに集っていた人たちが高齢化して、アクティブだった50代の人たちが70代になり、そんなのやってる余裕もなくなって、おしゃれにワインの試飲会なんてやっていた場所がその後、介護施設に転用されていたり。それはあまりに生々しく、当初の建築時の意図ともだいぶズレてしまっているはずですが、そういうものが真面目な専門雑誌の記事に載っていたら面白いと思うんです。
今週のおひつじ座もまた、どこのガイドブックやカタログにも載っていないような生々しいリアルへと、みずから「連れ出されて」いくことになるかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
現実の身も蓋もなさに開かれていく