おひつじ座
歴史から力を得るということ
赤坂憲雄の聞き取り体験
今週のおひつじ座は、ふるさとを問われて呆然とする女性のごとし。あるいは、本当のエンパワメントを追求していこうとするような星回り。
民俗学者の赤坂憲雄は、山形のある村を訪ねて高齢女性の聞き取りをしていた時に、「ふるさとってどこですか?」と何気なく聞いた女性の様子を、魂が飛んでいったように呆然としていた、と語っていました。
女性たちは、大抵よその村や集落から知らない家に嫁いできて、自分の生まれ育った家族の場所を捨てることを強いられ、子どもを産んで、育てた。男のように、生まれ育って死んでいく場所を当たり前のように「ふるさと」と言えない女性たちの姿があるということに、思いが至らないままにきいてしまった自分を、赤坂は無知と思い、質問ががさつだった、申し訳ないという思いをもったという。
もちろん、近代社会では自分の人生は自分で決め、勝手に生きられる権利があることを基礎としているし、若いうちにまわりにアレンジされて結婚させられるという枠組み自体ももはや解体され、今や「嫁ぐ」という言い方自体が前時代的と言われるようになった。けれど、赤坂が接した高齢女性たちは、ただそうした封建的な枠組みの犠牲者だった訳では決してなかったはず。
ふるさとを問われて当惑するほどに、今の生活に没頭している。そういう女たちというのは、どこでも生活を立てていける、どこででも役割を得、必要とされるままに強くなって、生き抜いていける、したたかでたくましい存在なのではなかったか。
18日におひつじ座から数えて「記憶の光景」を意味する4番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、経済的自立だけでなく、それ以外の方法でのエンパワメントも模索していくことがテーマとなっていくでしょう。
芭蕉の目指した「かるみ」
江戸時代の俳聖・松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅から戻った最晩年に目指した「かるみ」の境地とは、たしかに俳諧における言葉の使い方の問題であると同時に、それだけに留まらず心の持ちようの問題、何よりこの世での在り方の問題でもありました。
若いうちは誰しもが人生にはいいことがたくさんあるに違いないと信じている訳ですが、長く生きていると、どうも様子が違うことに気付き始め、身の上にふりかかった不幸や、理不尽な境遇を嘆いて、どうして自分ばかりがこんな目に遇わされていると、心のどこかで思い込むようになる。
それこそが「かるみ」の対極において、芭蕉が「おもみ」あるいは「おもくれ」と呼んだものでした。逆に、「かるみ」の発見とは、みずからの人生への重苦しい嘆きから、ガスが抜けるような笑いへの転換だったのです。
また、それは悲惨さを忌避してさっさと死んでしまうより、どこかカラカラと「平気」(正岡子規)で生きていることであったり、老年の枯れた「遊び心」(高浜虚子)であったりという形で、後の世の俳人たちにも受け継がれていったように思います。
今週のおひつじ座もまた、他ならぬ自分自身を肯定するための思想や伝統と改めて結びつき、背後から力を得ていきたいところです。
おひつじ座の今週のキーワード
たくましさの背景には隠れた系譜が埋まっている