おひつじ座
天に応ずる
みずから⇒おのずから
今週のおひつじ座は、『秋風のふくままろくろ廻るまま』(川喜田半泥子)という句のごとし。あるいは、がむしゃらに頑張るより、流れを自然に受け止めていくような星回り。
作者は銀行頭取などを務めた実業家で財界重鎮でありながら、「昭和の光悦」などとも称された陶芸家でもあった人で、掲句はその生き方や陶芸のあり方を端的に示したもの。秋風が吹くのにしたがって、逆らわずに生きてきた。ろくろの廻るのにしたがって、逆らわずに粘土を形づくってきた。それらは別々のことですが、作者のなかで自然と重なっているのでしょう。
しかし、秋風はともかく、ろくろは自分で廻しているはずではと、普通なら考えてしまうところですが、そこには「我」というものがないのかも知れません。つまり、ろくろも自分が巧みに「廻す」のではなく、あくまで「廻るまま」に従うものなのだと。
考えてみれば、昔から収穫の季節を告げる秋風は、モノにしろ人にしろそれら多くを突き動かしてきましたが、きっと作者も長年の実務経験のなかで、そうした「秋風」に時おり応じてきたのでしょう。
9月18日におひつじ座から数えて「移ろい」を意味する3番目のふたご座で形成される下弦の月へと向かっていく今週のあなたもまた、賢く判断し“みずから”行動していくことよりも、“おのずから”自分を突き動かしてくれる流れのようなものに身を任せていくべし。
「天」に即しているか否か
掲句の「秋風」という言葉で思い出されるのが、内村鑑三が『代表的日本人』(1894)において用いた「天」という言葉です。これは「世界霊魂(World-Spirit)」と訳されている人間を超えた働きの別名でもあるのですが、内村はこの「天」について、彼とほぼ同時代人であった西郷隆盛と結びつけつつ、次のように述べていました。
静寂な杉林のなかで「静かなる細い声」が、自国と世界のために豊かな結果をもたらす使命を帯びて西郷の地上に遣わせられたことを、しきりと囁くことがあったのであります。そのような「天」の声の訪れがなかったなら、どうして西郷の文章や会話のなかで、あれほどしきりに「天」のことが語られたのでありましょうか。のろまで無口で無邪気な西郷は、自分の内なる心の世界に籠りがちでありましたが、そこに自己と全宇宙にまさる「存在」を見いだし、それとのひそかな会話を交わしていたのだと信じます。
西郷はいわゆる宗教的な人物ではありませんでしたが、大いなるものに開かれた、きわめて霊性的人間であり、内村はほとんどイザヤやエリヤなど旧約聖書に出てくる預言者に近い存在として西郷を捉えていたことがよく分かります。
今週のおひつじ座もまた、「天」や「秋風」や「ろくろ」のような、言葉をこえたところで信じられる自分なりの尺度というものを意識していきたいところです。
おひつじ座の今週のキーワード
則天去私