おひつじ座
倫理的無法
おれはひとりで行く
今週のおひつじ座は、「空虚こそ貴族の立つところ」を地で行くよう。あるいは、どこまでもガキっぽいエロティシズムを貫いていこうとするような星回り。
石川淳の『六道遊行』という小説は、千年の時空を超えて現代と奈良時代とを往復するというSF仕立ての物語で、そこには玉丸というスーパー・ベイビーが出てくるのですが、彼の後見人である成り上がりの事業家がおもしろいことを言うのです。
ばか教師がなにを知ってをるか。こはれたものをあとから継ぐといふ思想がわしには気に入らん。茶碗は割れば消える。ものは消えるといふことを知ればそれでよいではないか。あとの始末は掃除番にまかせておけ。窓ガラスに黄金のボールを投げつけてあそぶのが貴族のあそびだ。窓もボールもどこかに吹つ飛んで、空虚の中に当人がゐる。空虚こそ貴族の立つところぢやよ。
この小説はいわば男性原理と女性原理の確執を、一つの戯画化された政治史として描いているのですが、作者の「陽根の運動は必ず倫理的に無法でなくてはならない」というある意味でガキっぽい恋愛テーゼは、最後に玉丸において「おれはひとりで行く。おもふままに振舞ふ。たれの世話にもならない。じやまなやつはどけ」というセリフとして結晶化していくのです。
同様に、25日におひつじ座から数えて「深い溝とその乗り越え方」を意味する8番目のさそり座で下弦の月を迎えて行く今週のあなたもまた、下手に世慣れた振る舞いでお茶を濁すのでなく、むしろ本来の自分らしいやり方に切り替えていきたいところ。
ホフマンスタール『夢のなかの少女』
いちども/愛したことのないはずの/女のひとが
ときおり/わたしの夢のなかに
少女となって/あらわれてきます夢からさめると/わたしは
少女といっしょに/日暮れどき
遠い道を/どこまでも
歩いていったような気がします
こんな夢を見てしまったら、一日中、夢で見た少女の面影を追ってはぼうっとしてしまいそうです。とはいえ、ときおり夢に出てくる決まった人物を、どう受け止めていいのか分からないという感情を味わったことがある人は少なくないのではないでしょうか。
ただ、いつもならすぐに忘れてしまうのに、夢から醒めても相手の姿が離れていかない。それを詩人は「どこまでも(いっしょに)歩いていったような気が」すると表現してみせた訳ですが、実際、そうして歩いていくことでしか、遊離してしまった魂の一部を取り戻す方法はないのです。その意味で、今週のおひつじ座もまた、いつもなら心の奥底で静かに眠っている理想の夢が、唐突にひとり歩きしていったとしても、まずそれを受け入れてみるといいでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
面影のあの人