おひつじ座
いけいけどんどん
ユーモアを忘れずに
今週のおひつじ座は、「枯草の大孤独居士ここに居る」(永田耕衣)という句のごとし。あるいは、大いなる開き直りへと突き抜けていこうとするような星回り。
当時95歳だった作者が東日本大震災に遭遇したときの体験について、その翌年に詠んだ句。たまたま2階のトイレに入っていて、狭く堅牢な空間だったため、壁土やタイルに埋まってしまったものの、肉体的な損傷をまったく受けずに済み、たまたま隣人が瓦礫となった家にのぼり、トイレの窓から作者を救出したのだそう。
まさに九死に一生を得たわけですが、だからと言ってこれは誰かの助けを呼んでいる句ではありません。「大孤独居士」とは、大いなる孤独の存在であるということであり、また自分はこの世に存在しない死者と同じだということでもあります。なにより、まだ死んでもいない自分のことをみずから戒名めかして呼ぶおかしみや諧謔のうちに、そこにこそ人間本来の生きてある姿があるのだと、言外に主張しているのではないでしょうか。
そこには、家も家族もなにもかも失っても、それでも悲しみや孤独に耐えながら、明るさを忘れずに生きている、たくさんの老人の姿が重なっていくように思います。
12月4日におひつじ座から数えて「哲学的探求」を意味する9番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな「大孤独居士」のひとりとして過ごしてみるといいでしょう。
ある女の一代記
俳句という短い詩型では、用いられる季語の豊かなバリエーションや偏りのなさが自然と志向されるのが一般的ですが、たとえば「吾が死なば虹を棺の通路とす」と詠んだ三好潤子などは、むしろ好みの季語を限定し、それらにおのれの命の火を燃え移らせるかのように俳句を詠んでいったものでした。
それはそのまま恋と性の小路をとおって女の一代記へとなっていっただけでなく、同時におのれの生命への愛おしみでもあったはず。潤子のさきの句はいささか自分の死を美化し過ぎているようにも感じますが、それもまた自愛の成果なのだと思えば、過剰ということのほどでもないでしょう。
句において、潤子の想像力は自在であり、無責任であり、大きな誤謬をおかすスレスレのところを攻めていった分だけ、つまらない執着を手放すことにも成功しているのだとも思います。
その意味で、今週のおひつじ座のあなたもまた、枯草であれ虹であれ、みずからの奔放な想像力をのせていくのに相応しい対象を通して、大きく自分を解放させていきたいところ。
おひつじ座の今週のキーワード
我執のたどり着く先