おひつじ座
キノコは踊る
巨木的か、キノコ的か
今週のおひつじ座は、井上ひさしのチェーホフ評のごとし。すなわち、「一に主人公という考え方を舞台から追放した、二に主題という偉そうなものと絶縁した、三に筋立ての作り方を変えた」というもの。
ロシアにはドフトエフスキーやトルストイなど、普遍的な主題を扱いながら重厚かつ長大な大長編をものした世界的な小説家がいますが、ロシア文学者の沼野充義はそんな彼らを鬱蒼とした大森林の巨木に喩えつつ、短編小説や戯曲を書いたチェーホフをそれらの倒木を解体しつつ新たな植生の下支えとなるキノコに喩えました。
確かに、キノコの世界には誰が主役で誰が脇役なのかといった区別はないでしょうし、「神の愛」であるとか「美しい人間とは何か」といった大袈裟な主題とも無縁そうですし、「成長」とか「成功」といったありきたりな帰結に収斂されていくような直線的な展開の物語性に自身の生きている時間を重ねていくこととも無関係なのではないでしょうか。
同様に、私たち人間もまた、何も自分の人生を特別な意味のあるものにしたり、ドラマや映画のように過剰に盛り上げたりする必要はないのです。特にいまのおひつじ座には、改めて、そうしたいかにも巨木的な価値観から自身を解き放っていく必要があるように思います。
29日におひつじ座から数えて「個別性」を意味する5番目のしし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていくあなたもまた、マッチョな方向にではなく、不思議で、遊び心のあるキノコの方へ生き方の標準を合わせていくといいかも知れません。
‟踊らされる”のではなく
『ダンシングホームレス』というドキュメンタリー映画では、文字通り路上生活経験者をメンバーに活動するダンス集団「新人Hソケリッサ!」の踊りや日常がおさめられているのですが、彼らは自分たちを「ヒーローでも、いい人でもない」のだと言います。
虚飾ばかりが先行する世の中で、人びとは街中や交通機関の至るところで発される広告メッセージを通じ、欲望に‟踊らされる”ことにいつの間にか馴れてしまっているように見えますが、生命というのはそんなに簡単なものじゃない。少なくとも彼らの踊りを見ていると、そう思わせる何かがあるのです。
この作品が初の長編映画となる監督の三浦さんは、同作品を紹介したビッグイシューvol.377の記事の中で「同じ時代を生きる一人の人間としてメンバーを描きたかった。彼らの人生が踊りに表れていますし、それが撮影期間中にも変化していくのがわかりました」と語っていましたが、今週のおひつじ座もまた、どうしたら切実になれるか。いつの間にか失われた生の主権を取り戻すことができるか。いっそ汗をかいてあくせくしてみるべし。
おひつじ座の今週のキーワード
自好転する地球のごとく