おひつじ座
地が出てくるホイ
こちらは10月18日週の占いです。10月25日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
分身としての俳句
今週のおひつじ座は、「打ちみだれ片乳白き砧かな」(泉鏡花)という句のごとし。あるいは、自身の分身が顕わになっていくような星回り。
「砧」とは、布を和らげるために布団を棒などで打つ台や、またその音のこと。言わば、昔ながらの生活音ですが、掲句では胸もあらわに砧をうつ女性の姿が詠まれています。
どこかただならぬ不穏さや狂気のようなものを感じさせますが、それはひとえに作者がそういうものに魅せられる人間であるということの表れなのでしょう。
どうも俳句というのは、詠めば詠むほど俳句の方が本人に似てくるものらしく、芭蕉は旅に、蕪村は絵に似ているし、作者の句もまたその怪奇趣味の小説に似ています。
本人の思いや癖を長年にわたり吸い続けた俳句は、だからこそある種の生命や力を持って人の心に訴えるのでしょう。そう思うと、改めて俳句を詠んだり、それを鑑賞するというのは業が深く、恐ろしい営みであるような気もしてきますが、翻って、あなたがもし長年にわたり俳句を詠んだとしたら、それは何に似てくるでしょうか。
その意味で、20日に自分自身の星座であるおひつじ座で満月を迎えていく今週は、自分の分身のような何かに思い当たっていくことができるかも知れません。
つかえが取れる
江戸時代の三大俳人の一人である小林一茶は、庶民的な句を大量につくりだしたことで知られていますが、四十を少し過ぎたあたりから句が明らかに変わっていきました。
かなり露骨な貧乏句を作るようになったり、他にも奇妙な変わり様を見せるようになって、これが長年の庇護者たちの首を大いにかしげさせました。いい変化なのか、わるい変化なのか判別がつかなかったのです。
この点について例えば作家の藤沢周平は評伝小説『一茶』の中で、自身も高名な俳人で一茶の生活の世話などもしていた夏目成美(なつめせいび)に次のように語らせています。
これを要するに、あなたはご自分の肉声を出してきたということでしょうな。中にかすかに信濃の百姓の地声がまじっている。そこのところが、じつに面白い
今週のおひつじ座もまた、一茶ほどではないにせよ、どこかで自分が変わりつつあることの予感や実感を、誰かとの会話や対話の中でつかんでいくことができるかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
肉声の自覚