おひつじ座
現実と神話のはざまに風は吹く
汝と我
今週のおひつじ座は、「秋風や生きてあひ見る汝(なれ)と我」(正岡子規)という句のごとし。あるいは、感傷と予感とのあいだに透明な風が吹き抜けていくような星回り。
明治二十八年、作者が29歳の時に詠まれた、旧来の友人と久しぶりに再会した喜びの句。どんな状況下、どんな思いを抱いて会ったかはこの句だけでは定かではありませんが、「生きてあひ見る」という言い方から、二人が離れ離れになっていたあいだにそれぞれに死を意識せざるを得ないような事情や状況があったのでしょう。
ただし、その再会は手放しで喜べるような無邪気なものでもなかったのだと思います。それは、二人を包んでいるのが「秋風」であったということ。
辺り全体には、そこはかとない寂寥感が満ちており、やっと会えた感動のさなかにおいても、どこか複雑で屈折した作者の心境がそこに反映されているのではないでしょうか。最後の「汝(なれ)と我」という対比的な物言いも、おそらくは離れているあいだにお互いの立場や方向性が決定的に分かれてしまったことを表しています。おそらく、二人はこれから先、以前のように再び同じ道を歩むことはないのでしょう。二人は再会を喜びながらも、どこかでそれを予感していたはず。
10月6日におひつじ座から数えて「明瞭な区別」を意味する7番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、これまで曖昧にしてきた関わりにどこかで一線を引いていくことがテーマとなっていくでしょう。
さまよえる魂ふたつ
現代におけるロマン主義を体現した作家であったアンドレ・ブルトンには、『ナジャ』という自伝小説があります。それは文字通り、自身のことを「ナジャ」と名乗った女との偶然の出会いから始まった交際の記録を、自動記述で思いのままに書き綴った作品でした。
「ほら、あそこのあの窓ね?今はほかの窓と同じように暗いでしょ。でもよく見てて。あと一分もすると明かりがついて、赤くなるわ」一分が過ぎた。窓に明かりがついた。なるほど、赤いカーテンがかかっていた。
こうしてブルトンはナジャに戸惑いつつも、急速にのめりこんでいきました。彼は女に質問する。「あなたは一体何者ですか?」。すると彼女は答える。「あたしは、さまよえる魂なのよ」。
彼女は夢遊病者のようでもあり、また現実世界を無限的神話世界に変容させる魔女のようでもあり、彼以外の男たちにとっては娼婦であったのに、ブルトンにとってはナジャは肉体を欠いた中性的=霊的存在であり続けました。結果的に彼らは破綻を迎えるのですが、『ナジャ』の末尾に書かれた「美とは痙攣的なものだろう、さもなくば存在しないだろう」という一節を鑑みるに、二人にとって別れは必然でもあったのでしょう。
今週のおひつじ座もまた、子規やブルトンよろしく、調和でも永遠でもない、一時的な関わりのなかにひとつの美を見いだしていくことができるかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
現実の神話化