おひつじ座
消費者←→神の化身
「単なる消費者」から失われたもの
今週のおひつじ座の星回りは、「コンヴィヴィアリティ」という見慣れない言葉のごとし。あるいは、みずからの内に既に失われつつあるものを改めて認識していくこと。
思想家のイヴァン・イリイチは約40年前の1973年に刊行した『コンヴィヴィアリティのための道具』の中で、現代社会が抱えている危機の本質は、人間が生きていく上で必然的に抱えざるを得ない問題(生老病死)に対する処置が外部の専門家へと委託されるようになり、人びとの暮らしが高度に制度化された点にあるとして、次のように述べました。
富める国々の囚人はしばしば彼らの家族よりも多くの品物やサービスが利用できるが、品物がどのように作られているかというこに発言権を持たないし、その品物をどうするかということも決められない。彼らの刑罰は私のいわゆるコンヴィヴィアリティ(自立共生)を剥奪されていることに存する。彼らは単なる消費者の地位に降格されているのだ。
この「コンヴィヴィアリティ」という言葉を辞書で引くと、「上機嫌、陽気さ、親睦」などの意味が出てきます。イリイチはそうした内実を含ませた上で、改めて「人間的な相互依存のうちに実現された個的自由」として定義していった訳ですが、こうした彼の仕事はまさに今週のおひつじ座にとって一つの指針となるはず。
10日におひつじ座から数えて「生き延びるための学習」を意味する3番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、どうすればいいかを決める前に、まず今の自分には何が失われているのかを正確に認識していくべし。
「礼」ということ
日本では子供の頃から「人に接する時には礼儀正しくしなさい」と教えられますが、その一方で、大人になって親しい間柄でも丁寧語を貫いていれば「人に心を開かない」だの「慇懃無礼で逆に失礼」だの言われてしまったりもします。
これは「礼」ということとマニュアル原理主義をごっちゃにしているために起きることで、孔子の説くところの「恭(うやうや)しい人も、礼がなければ(心)労になってしまう」典型と言えるでしょう。
この「恭しい」とは相手へのリスペクトを持つこと。もともと中国では王は龍で象徴され、これは彼らにとっての聖獣ないしトーテム(部族の来歴、信仰の根拠)の名残ですが、つまり「恭しい」とは相手をひとつの龍(神)の化身として見なすということなんです。
そして、「礼」とは自己を自己で支えるということ。地位や権威や他者に寄りかかって立つのではなくて、あくまで自分という存在が一体どれくらいの力で支えられているかをおおよそ自覚した上で、その責任を自分で引き受けつつそこに立っているということです。
誰か何を真にリスペクトするつもりなら、自分もまたひとつの神の化身として見なし、そんな他ならぬ自分自身を大事にする術を学んでいかなければならない。それがすなわち「礼」ということであり、今週のおひつじ座にとってのテーマなのだとも言えるでしょう。
今週のキーワード
「恭しい人も、礼がなければ労になってしまう」