おひつじ座
利己主義あっての利他主義
搾取と互恵の違い
今週のおひつじ座は、温又柔『魯肉飯のさえずり』における主人公の声のごとし。あるいは、思いやりや責任に基づく「ケア」ということを実践していくような星回り。
「わたし、聖司さんにばっかり甘えてたくないの。もちろん聖司さん以上に稼ぐのは不可能だけど、わたしにもできることがきっとあると信じたい」と提案する主人公の桃嘉に対して、夫の聖司は「お金のことは気にするなよ」「奥さんと子どものために稼ぐのは、男にとってあたりまえのことなんだからさ。それに俺は、桃嘉に甘えられるのが嬉しいんだよ」と答えている。
しかし、それに対して「桃嘉は軽い絶望をおぼえる」。なぜなら、彼女が言いたかったことが夫の聖司にはまるで伝わっていないから。彼女は夫の自分へのケアを愁訴し、それでも彼の言動にそれが欠如していることに傷ついている訳ですが、それでもそういう夫の主観が形づくる世界になびいてしまうのではなく、彼女なりにこうした脅威に抵抗することができています。
つまり、彼女自身がひとつのケアの倫理を能動的に具現化することが出来ている。その意味で、桃嘉は「ケアの人」としてあり得ているのだと言えるでしょう。
12日におひつじ座から数えて「自尊心」を意味する2番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、みずからが実現したい世界を象徴する原理を、何よりもまず自分自身が体現していけるかどうかが問われていくことでしょう。
何をその背に感じているか
「相手のために」とか「役に立つ」といったことが、健全な行為として成立するのは、そういう行為自体が‟たまたま”いのち(エロス)の自然な発露であった場合に限られます。
そして、そういう時というのは、相手からすればこちらの背中に「仏像の光背」のような光がうっすらと差しているように見えていたり、自分でもいつもと比べて視界の明るさを感じていたりするものなのではないでしょうか。
逆に、『魯肉飯のさえずり』の聖司のように、どこかで自分をうそぶいていれば、例え本人がどんなに言動の細部にまで注意を払っていようとも、それは相手のこころに重くのしかかる荷物となってしまいかねないのです。
おそらく、真剣に自身のいのちの使い先を心に決めていくとき、人は「ケア」ということを心から理解し、実践していくことができるはず。今週のおひつじ座も、少しでもそんな境地に近づくためにも、まずもって自分自身のいのちを第一に扱っていくべし。
今週のキーワード
コミュニケーション的暴力の認識