おひつじ座
生きることを生きること
茶番にのっかる
今週のおひつじ座は、春のほろ苦い味わいのよう。あるいは、「生命をきちんと生命として捉え」ていこうとするような星回り。
何もあえて殺害行為など行わなくても、私たち人間は大小さまざまな殺害に日々加担しており、もし他の生物をモノとして扱う代わりに、あらゆる生きものを平等と見なすなら、いかに私たちが日頃何気なしに凶行を働いているかが分かるのではないでしょうか。
そうして生がそれ自体として悪だとするのなら、あらゆる生き物たちが一斉にその命あることを謳歌する春という季節は、いくら美辞麗句やファンタジーで文化的に飾り立て、高度な隠蔽に心血を注ごうとも、ただ「生きる」ということが他の生き物のおびただしい数の死によって支えられているという紛れもない現実に最も間近で触れていかざるを得ないタイミングでもあるはずです。
「春はほろ苦い。菜の花や山菜たちの苦味のせいだけではない。春の容赦ない温もりの中では、冷たくねじくれた自分の性根が氷解してしまうように感じられるからだ。つねづね世界に一泡吹かせてやろうと企んでいるにもかかわらず、見え透いた甘い罠にまんまと掛かり、苦笑いしながら浮き立つ心を隠している。毎年くりかえす茶番だ。」(東千茅『人類堆肥化計画』)
20日に太陽が自分自身の星座であるおひつじ座に移動し、春分を迎えていく今週のあなたもまた、とんでもない背徳の悦びの追求者としてそんな「茶番」に参加していくことになるかも知れません。
キジ・ジョンソンの『スパー』(『霧に橋を架ける』所収)
このSF短編のあらすじをざっと述べると、航行中の宇宙船が正体不明の船とぶつかって、相手側の救命艇のなかで、粘液に覆われた不定形のエイリアンと一対一となって絡み合い、体中の穴という穴から侵入を繰り返され、突っ込んだり突っ込まれたりし続ける―というとんでもないもの。
ただ、そこには不思議な酩酊感があって、日々生きている実感が摩耗しているような今の社会にあって、こうした得体の知れないリアリティーと触れ合う中にこそ、真の意味での生きた実感が潜んでいるのではないかという気さえしてくるのです。
主人公の女性は当然抵抗したり、言葉を教えることで難を逃れようとしたり、この行為はもしかして性交なのではなく、何らかの意思疎通なのかも知れないと推測したりするのですが、その間もインとアウトの律動はひたすら続いたまま。そんなエイリアンとの行為は、女性が失った過去を「思い出すこと」と「忘れること」の反復行為ともなり、いつしか現実と回想、そして目的と手段はその境界を失って渾然一体となり、エイリアンと女性はついに分かちがたい存在へと変貌したことを暗示するような一文で、話は終わります。
妄想であれ現実であれ、今週のおひつじ座もまた、そうした格闘技における「スパーリング」にも通じる生々しい手応えや拠り所を少なからず欲していくことでしょう。
今週のキーワード
生の迫真性を取り戻す