おひつじ座
迷子になる技術
遠くへ流れる
今週のおひつじ座は、「風花の一片にして遠ながれ」(皆吉爽雨)という句のごとし。あるいは、あえて“迷子”になっていくような星回り。
そろそろ北国や山深い地方では初雪の報せが届いてくる頃合いですが、風下の地域では、風に運ばれてきた雪のかけらがちらちらと舞うことがあります。これが「風花」。
しかし、掲句の「一片の風花」の描きようはどうでしょうか。「遠ながれ」という線描の巧みさは「一片にして」すなわち「たった一かけらであることを考えると」という言い方によって見事に冴えわたっています。
まるで、初めから遠くまで流れてくることが運命づけられていたかのような風花の様子を、大げさに騒ぎ立てるのではなくきわめて平明に、それでいながら、何かただ事ではないことが起きていることを伝えています。
どこか、サンダルをつっかけ、ちょっと近所まで買い物へという体で失踪してしまった人をも思わせますが、生きていればそんな気分になることだってあるのではないでしょうか。
これまで当然のように従っていた文脈が不意に失われてしまった時、人は自分がどこにいるのか突如分からなくなり、迷子となる。
22日におひつじ座から数えて「どこでもない場所」を意味する12番目のうお座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、あえて迷子となってみるべく、いつもなら行かない場所や、身を置かない文脈へと足を延ばしてみるといいかも知れません。
真面目さという罠
例えば、箸と橋は同じハシという音でもまったく別ものです。ただし、音で繋がっているというだけでも、そこには「箸」というものがただ食事の際に使われる長さ数十センチの棒状の物体に過ぎないという機能的役割から解放され、自由になっていく可能性が開けているのであり、その自由が人の心を救うことだってあるのではないでしょうか。
何を荒唐無稽なことを、と思うかも知れませんが、それだけ人間の「真面目さ」というものが怖いものだということを伝えたかったのです。これは、私たち現代人がからだから力を抜くのがどうにも下手で、窮地に陥るほどに力を入れてますます頑張ろうとしてしまうこととも似ているかも知れません。
「自分は真面目にやっているのだから大丈夫」が、「真面目にやっているのにどうして」に変わってきても、自分のやっていることをまだ自分の中だけに納めているうちは、なかなか真面目さというのは手放せないものです。ですが、自分が真面目にやっていることが、全然違うところで適当にやっている(ように見える)人たちと大して変わらないじゃないか、ということになってくると、途端に真面目さは壊れてくる。
なんだか自分が滑稽で、笑えてくる。この滑稽さということが大本になって、自分の中で地滑りが起きて、それが結果的にこころや身体を自由にしていく。今週はそうした意味での滑稽味というのを、いつもより少し高い場所にたって味わっていくことができるかも知れません。
今週のキーワード
その場でグルグル回ってみる