おひつじ座
目を逸らさずに
蔭の側に立つ
今週のおひつじ座は、「もの置けばそこに生れぬ秋の蔭」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、「蔭」の側に立って日常を見返していくような星回り。
いつからそうしていたのか、手に持っていたものを、ふとテーブルや床に置いたのでしょう。そこにたちまち濃い影が生じた。そんな秋の暮れの光景を詠んだ一句。
「ものを置く」、ここではその具体的な解釈や舞台設定の詳細は読者に託されています。ほっと一息ついたコーヒーカップかも知れないし、畑の土の上の鍬かも知れない。ただ、ここで作者の意識の中心にあるのはその「もの」が何であるかというより、「もの」を置いたことによってぽっかりと空いた心の穴の方であって、その穴を満たしている秋の澄んだ空気や不気味なほどの静けさに浸っているのだと言えます。
それは「もの」を持っているのが当たり前だった時には気付くことのできなかった代物であり、だからこそ、人はなかなか意図した仕方では「もの」を置くことはできないのでしょう。
けれど、掲句ではそれを強い意志をもってなのか、ものの弾みかは分かりませんが、とにかく置いてしまったのであり、そうしてできた「蔭」から、もはや目を離せずにいるのではないでしょうか。
10日におひつじ座から数えて「物事の終わり」を意味する4番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、今このタイミングでけじめを付けるべきことがあるとするなら、それは何なのか。そして、それを手放すことで何が得られるのか。改めて、確かめていくことになりそうです。
残酷な秋の醍醐味
秋は「飽き」に通じ、「秋風が吹く」と言えば、俗に「男女の仲が冷める」ことを意味しますが、なにも冷めるのは男女間の恋愛に限らないでしょう。つまり、友人であれ、師弟であれ、親子であれ、飽きるときには飽きてしまう。それもまた人間というものなのではないでしょうか。
その意味で、掲句の「秋の蔭」とは、決してコントロールすることのできない運命であり、また人の手では飼い慣らすことのできない自然の象徴でもあり、油断した瞬間にその鋭い爪であなたを引き裂いてしまうかも知れないリスクの暗示とも言えるかも知れません。
ただ、それを単に回避すべきリスクと取って、何が何でも「リスクヘッジ」しようとしてしまうのではなく、時にはそっとその声に耳を傾けてみることも、秋の醍醐味でしょう。
今週のおひつじ座には、そんな静かではあるが決然とした引き際の潔さが求められていくように思います。
今週のキーワード
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