おひつじ座
たて糸とよこ糸
機織りのたとえ
今週のおひつじ座は、大本教の出口王仁三郎が宗教を織物にたとえた際に詠んだ「綾機(あやはた)の緯糸(たていと)こそは苦しけれ/ひとつ通せば三度打たれつ」という歌のごとし。
あるいは、糸をつむぐようにいま手元にある関係性を整えていくこと。
この歌については、美学者の高橋巌が次のような解説を加えています。
「たて糸は緊張しきって、変化せずに機にかかる「必然」の役割をもっているのに対して、よこ糸は右に左にたて糸の間をくぐっては、そのつど新しい綾を織り上げる「自由」の役割を担っています。そしてその「自由」を実現するためには、そのつど二度、三度と筬(おさ)できびしく打たれるのです。彼は神道の用語を使って、たて糸は火であり、よこ糸は水であり、そしてこのたて糸とよこ糸の接点の働きをするのは伊都能売(いずのめ)の神であるといっています。」(『神秘学から見た祈り』)
「伊都能売神」とは、平たく言えば「愛の神」のこと。
縦に、強い目的意識があるとして、その必然の間を、個性の異なるさまざまな人たちが右往左往する自由がある。その衣食住の自由は打たれるような苦しみを伴うが、よこ糸が多様であればあるほど、織りあがったときの美しさが増すのです。
あなたがいま紡ぎ出している織物は、自分が納得できるほどの美しさを保てているでしょうか?
そんなことを年頭に置きつつ、今週はよこ糸のバリエーションや、たて糸のゆるみを糺していくべし。
愛のヒント
つまりここでは、「愛」というのは多様な在り方や役割を統合していく働きにおいてこそ現れてくるものである。
さらに、関わっている人間関係が特定のタイプだけだったり、自分の目的のもとに関わっているとはっきり説明できてしまうようであれば、それはまだまだ愛とは程遠いものであるという風にも言えます。
「(悪い意味でなく)何でこんな人と付き合っているんだろう?」とか、「なぜだか説明できない縁を感じるけれど、それはどんな「自由」を相手に見ているからなんだろう?」と不思議に思える相手であればあるほど、今週はそこに意識を向けてみるといいでしょう。
今週のキーワード
糸は意図