おひつじ座
新たな回路を確かめて
ビリヤードの玉のように
今週のおひつじ座は、「烏賊に触るる指先や春行くこころ」(中塚一碧楼)という句のごとし。あるいは、感覚と情動との間にできた新たな回路を確かめていくような星回り。
「春惜しむ」は和歌以来の日本の伝統的なお題ですが、掲句ではそんな情動がナマの烏賊(いか)に触れるという感覚的な刺激と結びつく中で呼び覚まされているのが斬新です。
魚屋さんなどの店頭でそっと触ったのか、台所で思いきり触れてみて浮かんだものなのか、思いのほか強いその弾力や湿り気、つるりとした独特の触感を指先で味わった瞬間、唐突に「こころ」が動いたのでしょう。
大正元年に詠まれた句ですが、いま読んでみてもまったく色褪せないのは、六・五・七という五・七・五のリズムからは決定的に外れてしまった破調が、「指先」と「こころ」とのあいだに生まれた新たな回路と結びつく形で生かされているからであるとも言えます。
自然になんとなく配置されていた別々の玉が、ビリヤードで突かれた玉のように不意に一つの因果関係で結ばれていく。そういうことは誰の身にも起こり得ることです。
23日におひつじ座から数えて「腑に落ちる感覚」を意味する2番目のおうし座で、新月を迎えていく今週のあなたもまた、これまでどこか正体を失ってぼんやりしていた気分や感情が不意に明確な輪郭を伴なって浮かび上がってくるかも知れません。
上陸と撤退の歴史
ものの本を読んでいると、どうも生物というのは、古生代末期に約1億年をかけて、海から陸への上陸と撤退のドラマを繰り返してきたという歴史を持っているそうですが、今でも人間というのは、かつてそうだったように「海」から這い上がっていく者と、再びそこへと還っていく者とに分かれるように思います。
つまり、系統発生を繰り返しつつ、一定の割合で淘汰された役柄に自分を重ねていく人たちがいるということ。もちろん、ここではそのどちらが成功であるとか、あるいは失敗だとか、そういう野暮なことを言うつもりはありません。
例えば掲句のように「烏賊」に触れることで何かが変わってしまったのだとすれば、それも陸に上がらなかった側の記憶、あるいは海に還っていった側の記憶とたまたま波長があっただけのことなのでしょう。けれど覚えておいて欲しいのは、共感は自分の未来を創る力強い第一歩であり、それが確かな感覚を伴なって腑に落ちるとき歴史は動くのです。
そしてそうした自覚を伴なった共感は、やがて深い根となって、未来へ大輪の花を咲かせていくための大切な滋養となっていくはず。今週はよくよく自分の身に起きることに目を光らせていきましょう。
今週のキーワード
未来は過去の中にある