おひつじ座
穴が空く
腑に落ちるということ
今週のおひつじ座は、「書を校す朱筆春立つ思(おもい)あり」(柴田宵曲)という句のごとし。あるいは、気が遠くなるほど手を動かして初めて見えてくるものを追い求めていくような星回り。
作者の名を知る人は、今日そう多くはないでしょう。元禄時代の無名作家の俳句を集め、評釈を加えた『古句を観る』の表紙には、「権勢に近づかず人に知られることを求めずして一生を終えた柴田宵曲(1897‐1966)」という紹介文があります。
彼は生涯にわたり膨大な量の書物の編纂を行い、子規の全集なども担当しているのですが、みずから本の校正に従事することも多かったのでしょう。今でこそ校正は赤鉛筆や赤ボールペンで行いますが、作者の時代はまだ筆に朱墨をつけて記したのです。
そんな作業の折、なにか新たな季節の到来を感じさせるような瞬間があって、それがたまたま句になったのが掲句。
終生「縁の下の力持ち」として生きた宵曲らしい実感の仕方ですが、人間というものは長年自分が慣れ親しんだ道具や作業を通じてのみ、何かを腑に落としていくことができるのかも知れません。
16日(日)におひつじ座から数えて「感情の禊ぎ」を意味する8番目のさそり座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分なりの仕方で新たなサイクルの始まりを実感していくことになるでしょう。
ごく自然な帰結
現代の詩人・最果タヒはイラスト詩集『空が分裂する』のあとがきで、自身が詩を「なんとなく、書き続けてきた」経緯について、次のように振り返っています。
「創作行為を「自己顕示欲の発露する先」だという人もいるけれど、そうした溢れ出すエネルギーを積極的にぶつける場所というよりは、風船みたいに膨らんだ「自我」に、小さな穴が偶然開いて、そこから自然と空気が漏れだすような、そんな消極的で、自然な、本能的な行為だったと思う。誰かに見られること、褒められること、けなされること、それらはまったく二の次で、ただ「作る」ということが、当たり前に発生していた。」
想像するに、おそらく柴田宵曲が校正作業の途中で、ふと「春立つ思」を感得したのも、こうした感覚に近かったのではないでしょうか。
特に「自然と空気が漏れだすような」というところなどは、今週のおひつじ座にとっても理想的な在り方と言えるかも知れません。
今週のキーワード
自然と自我に穴は空く