おひつじ座
自分という国のはじまり
小舟で釣りをするように
今週のおひつじ座は、存在と意識の境で響く「眠たげな息遣い」のごとし。あるいは、かつて夢から醒めた際にこぼれ落ちてしまったものを、さっと拾い上げていくような星回り。
埴谷雄高(はにやゆたか)はかつて、『不合理ゆえに吾信ず』において「肉体をかこむかぼそい層の空間に眩暈のような或る不思議が棲んで」いる」と書きましたが、私たちは夜寝る前の意識がすとんと闇に落ちる寸前や、まだ自分がどこにいるのかも定かではない完全な覚醒前のひと時に、そうした「かぼそい層の空間」を日々通過し続けてきました。
普段なら、そのこと自体をすっかり忘れて生活している訳ですが、本格的におひつじ座の季節に入っていく今週は、そんなほとんど息もできない薄く伸びた層に、さながら網でも張るように意識を添わせていくことができるはず。
そこに引っかかってくるのはすっかり忘れていた胎児のころの夢かもしれませんし、人生の途上でどこかへ投げやってしまった願望だったり、他の誰かに託された想いのようなものの場合もあるでしょう。
その意味では、今週は小舟から糸を垂らして釣りをするように、アンテナを立てつつも、のんびりと厳かに“何か”が引っかかってくるのを待つようにして過ごしていきたいところです。
中空にかえる
ユング心理学者の河合隼雄さんは「日本社会というのは心理的には中空構造で、中心には何もないんだ」ということを本に書いていました。
しかしこの「中空」というのは、「かぼそい層の空間」同様、なかなかにつかまえにくい概念で、何にもない「ナッシング」や「ボイド」かと思えば、社会と繋がって現に存在している以上「ビーイング」であり、それだけでなく、そこから何がしかが有意義なものが生まれてきたり、湧いてきたりする「ビカミング」でもある、と。
つまり、日本社会の中でオリジナルを追求して遡っていこうとしても、確固としたメッセージであるとか、そういう実体的なエビデンスに突き当たらない。どこかで必ず、お湯につかったようにふやけてしまうということです。
それは、個人の人生だとか、キャリア形成について考えていく上でも事情は同じなのではないでしょうか。
今週は、あえていったんふやけてしまうてことで、もう一度、自分自身を潜在的な可能性の海に浸していくことがテーマと言えます。
つまり、古くなった自分を溶かし、新たな神話を携えて自分を建国しなおしていくということですが、今はそうしたプロセス自体をただ無心で楽しんでみてください。
今週のキーワード
神話をなぞる