みずがめ座
かすかな呼応
関係性の温度感
今週のみずがめ座は、『目の中に芒原あり森賀まり』(田中裕明)という句のごとし。あるいは、因果関係や常識的理屈からはこぼれ落ちてしまうような関わり方をこそ大事にしていこうとするような星回り。
「森賀まり」が人名であることは一読して分かりますが、一体誰なんだと思って検索してみると、果たして作者の妻であり、彼女も俳人として活動し、一緒に俳誌を創刊していたことが分かったのですが、分かってみるとこのリサーチは余計でした。
いずれにせよ、その人がどこぞをぼんやりと眺めながら佇んでいる。そしてその瞳に、芒の穂というより、全体としての「芒原(すすきはら)」が映りこんでいた。要は、2人で芒原にいるのだ。
けれど、単にそう書かれただけでは、2人がいったいどういう関係で、この後どうなりそうなのかという温度感は伝わってこない。
森賀まりという人が、どうしたって芒原を宿した人で、そういう相手と向き合っている時間があって、そんな2人のあいだを弱い風が吹き、サーっと穂波が揺れていく。そのことに、作者はしみじみ感じ入っている。あるいは笑いをこらえている。あり、まり。芒と森と、あなたと私と。それらすべてが、かすかに呼応しあっている。
10月24日にみずがめ座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目のしし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、そぎ落とすべき余計な真似と、残しておくべき関係の核心とをしかと見極めていくべし。
関係性のなかの「かけがえのなさ」
ここで思い出されるのが、中原中也が2歳の息子を失った後に書かれた『月夜の浜辺』という詩です。
月夜の晩に、ボタンが一つ/波打ち際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと/僕は思ったわけではないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず/僕はそれを、袂に入れた。
(…)
月夜の晩に、拾ったボタンは/指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾ったボタンは/どうしてそれが。捨てられようか?
ボタンそれ自体に何か価値があるわけではない。思い出の品であるとか、何か霊妙さを感じたとか、何かに役立つのではないかと思ったわけではない。だけど、なんか捨てられなかった。出会ってしまったボタンだから、というのです。
自分とボタンとの縁は、純粋な偶然から始まった関係だけれど、だからこそ、そのボタンはとりかえのきかない尊いものであり、かけがえのないものになっていたのでしょう。あるいは、もしこのボタンを捨ててしまえば、自分の中のあたたかな生のエネルギーの流れが消えてしまうと、そう感じたのかも知れません。
同様に、今週のみずがめ座もまた、関係性における尊いもの、かけがえのないものをきちんと見定めていくことがテーマとなっていきそうです。
みずがめ座の今週のキーワード
夕暮れの芒原、月夜の浜辺