みずがめ座
いちぬけた
俳味のある時間を
今週のみずがめ座は、『茄子焼いてひやしてたましいの話』(池田澄子)という句のごとし。あるいは、無駄や面倒にあえて立ち寄っていこうとするような星回り。
焼き茄子を作りながら、たましいの話をしているのだという。おそらく身近な死者のそれのことだろう。それにしても、茄子というのは料理好きの人間が特に好む食材であり、レシピ次第で和食にも中華にもトルコ料理にもなるなど、存外にポテンシャルが高く、この時期は毎日料理していても飽きないような魅力がある。
その中でこの「焼き茄子」という料理は、ただ焼くだけでなくその後に冷蔵庫などで冷やすというちょっと面倒な工程があるところが、なんとも洒脱な抜け感を感じさせる。
まるで高熱サウナと水風呂の交代浴のようでもあり、ベンチなどで風にあたって“整う”感覚をさぐっているところまで想像してみると、まさにおもむろに「たましいの話」が出てくるのにぴったりなシチュエーションではないだろうか。
逆に、商談や企画書づくりをバリバリこなして、あちこちを忙しく歩き回っているような時には、そんな話はとてもできない。いったん大切な何かが失われてしまったり、無駄な時期を過ごしているように感じられるタイミングでないと、できない話や考え事というものがこの世にはあるのだ。
7月28日にみずがめ座から数えて「安らぎの感覚」を意味する4番目のおうし座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、ちょっと人生の最短ルートから外れていくような時間を大切にしてみるといいだろう。
社会化された不安のただ中で
現代史、特にホロコーストの研究で知られる歴史家のクリストファー・ブラウニングは、ごく平凡な市民で構成された第101警察予備大隊が、無抵抗なユダヤ人の大虐殺に短期集中的に荷担した事実にとどまらず、その心理にまで踏み込んで次のように述べています。
ひとたび状況に巻き込まれると、人びとは、不服従や拒絶を一層困難にする、一連の「拘束要因」ないし「凝固メカニズム」に直面する。状況の進行は、新しい、あるいは対立するイニシアティヴを採りづらくする。「状況的義務」ないしエチケットは、拒絶することを、不適切で、無礼で、義務に対する道徳的違反であるとさえ思わせる。そして、服従しないと罰を受けるのではないかという社会化された不安が、さらに抑止力として働くのである。(『普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊―』)
こうした一連の集団心理はいつの時代も「普通の人びと」にはつきものですが、特に今の日本のような社会状況においては、社会化された不安に身動きを封じられないよう、特に気を付けていく必要があるのではないでしょうか(その具体的な手段としての「たましいの話」)。
今週のみずがめ座もまた、自分を取り囲んでいる世間の雰囲気に取りこまれることなく、むしろそこからすり抜けていくことを考えていくべし。
みずがめ座の今週のキーワード
もう「普通」じゃなくていいじゃない