みずがめ座
生きれば生きるほど
なくさない方がいい感情
今週のみずがめ座は、<純粋ごっこ>以降の世界での宝探し。あるいは、「本当は友だちなんていない」のだという大前提に立っていこうとするような星回り。
思想家の吉本隆明は『悪人正機』のなかで、男女関係にしろ友情関係にしろ、「純粋に相手の気持ちやなんかが全てわかる」ような人間同士の関わりを<純粋ごっこ>と呼んでいて、そういうのは青春期の入りかけだったり、人生のごく一時期には成り立つこともあるけれども、以降はどうしても利害の方が先に来るし、どんどん薄まって、不可能になっていくんだと述べていました。
でもそれじゃあ、人間は年を重ねるほどに、ますます切なくなっていくばかりじゃないか、と言いたくなると思うんですけれど、吉本はそれでいい、「その切なさみたいなもの」こそが非常に大事で、なくさない方がいい感情なんだとも言うんです。
つまり、利害をこえたようなところで関われる相手なんていうのは、生きれば生きるほどいなくなっていくものだけど、かろうじてそういう相手がひとりでも残っていたら、それは例えはた目にはどれだけ損をしていたとしても「宝物みたいなもん」であって、そういう相手をこそ、恋人でも夫でも妻でも家族でもなく、唯一「友だち」と呼べるのかも知れない、と。
その意味で、私たちはみな<純粋ごっこ>とそれ以降の切なくなっていくばかりの人生を生きている“ひとりひとり”なのであって、かろうじてそうでない場合や時期もあるだけのことなのだと言えます。
7月6日にみずがめ座から数えて「反省」を意味する6番目のかに座で新月(種まき)を迎えていく今週のあなたもまた、普通ならゼロで当たり前の「友だち」が自分の場合、どのような関わりとして残っているのか、改めて問い直してみるといいでしょう。
リルケの場合
古今東西の詩人や宗教家たちは、真に美しいもの、善きもの、価値あるものは、深い孤独からしか生まれないのだと、くりかえし説いてきました。しかし一方の現代社会では、孤独は彼らが言及してきたものよりもずっと貧しいものになってしまいましたが、本来それはとても豊かなものだったように思います。
例えば、20世紀における最も優れた詩人のひとりであろうライナー・マリア・リルケは、唯一の小説作品である『マルテの手記』のなかで、真に愛を育てるのは孤独で、恋する2人はお互いに孤独に耐えることで初めて、相手に対する愛を純粋に大きく育てていくことができるのだ、といった旨について書いていました。
リルケは愛のない両親のもとに生まれ、陸軍学校の寄宿舎へ幼い頃から入れられて、人生の始まりにおいて孤独地獄を味わい尽くした人でしたから、これは何の不自由もなく幸福に育った人の寝言などでは決してなかったはずです。
今週のみずがめ座もまた、みずからの孤独に耐え、孤独を見つめることを通じて、少しずつでも孤独を豊かにしていくということを身をもって実践されてみるといいでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
リルケのおける無名詩人(主人公のモデル)との交友(実際にはよく知らなかったらしい)