みずがめ座
どこでもない場所のまん中で
呼吸する風景
今週のみずがめ座は、「空気に浸っている」という感覚のごとし。あるいは、日頃からその影響や恩恵を吸い込み、浸っているソーシャルネットワークが、改めて浮かび上がってくるような星回り。
比較的近年にいたるまで、空気はもっともあって当たり前だと思われているものの一つでしたし、誰かのことを「空気のよう」などと言えば、それは本人に存在価値がないことの言い換えとして機能していました。
しかし人類学者のデイヴィッド・エイブラムは、「空気こそが私たちを最も直接的に包み込んでいる」のであり、言わば「空気は私たちが最も親密にその中にいる要素」なのだと言います(『感応の呪文―〈人間以上の世界〉における知覚と言語―』)。
すっかり文明化された現代人は、依然として身体や自然からみずからの精神を切り離そうとする諸力の働きに慣れ親しみ、自分は自律的で、独立した存在であると思い込もうとしていますが、新鮮な空気に浸ることで何らかの力づけを得られるという体感をへるごとに、真にこの世界の一部であることを思い出すことができるのではないでしょうか。
私たちが空気に目覚め、生成の深みにおいて私たちと関わっている多様な他者に気付き始めると、私たちの周りのすがたかたちが目覚め、生き生きとしてくるようだ……。
逆に言えば、私たちは自分を取り巻く空気を、空っぽの何もない空間として経験している限りにおいて、自分たちを支えている他の動植物や天地との相互依存関係を否定したり、抑圧したりすることができるだとも言えます。
その意味で、5月23日にみずがめ座から数えて「世間の広がり」を意味する11番目のいて座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、まずは新たなサイクルの出来る限り新鮮な空気を吸い込むところから、世界を拡げるための試みを始めてみるといいでしょう。
つかまり立ちする幼児のように
僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりと見回してみた。僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人びとの姿だけだった。僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。(村上春樹『ノルウェイの森』)
例えば、この「僕」はさながら生まれたばかりの人間の幼児のように、十分なリアリティを得ることができるほどの安定性がなく、エネルギーが収束されずただ光のカオスとして周囲を流れ続けていますが、これはどこか今のみずがめ座の人たちに近いのではないでしょうか。
何かを創り出していくのが人間が人間である所以だとするなら、それは特定の他者であれ土地であれ占星術のようなシステムであれ、他の座標系に共鳴し、浸透され、時にぶつかり合いながら適切な間合いを探ることによって、新たなシステムを立ち上がらせていく他ありません。
今週のみずがめ座もまた、孤立純化したシステムとして硬直してしまうのではなく、そうした共鳴を改めて心がけていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
共鳴から始まる