みずがめ座
青白いきつねの訪れ
兆しを捉える
今週のみずがめ座は、『短夜の狐たばしる畷(なわて)かな』(内田百閒)という句のごとし。あるいは、全身を耳にして遠くからきたものをキャッチしていくような星回り。
「短夜」はあっという間にあけてしまう夏の夜を表す季語で、「畷(なわて)」は田んぼの中のあぜ道のこと。
日本人は昔から音に敏感な民族であり、特に人間世界の外部からやってくる神的なものの訪れには、季節の変わり目などには特に神経を研ぎ澄ませてきました。掲句でも、明確にどんな音がしたのかは書かれていませんが、きっと本来なら人里まで滅多におりてこない狐が集落にほど近い道をひた走る気配が感じられたのでしょう。
夜行性の彼らは夜になると巣穴から出てくるのですが、春から夏にかけての時期は、親ギツネが成長期に入った子ギツネのエサを探すために、それまで以上に活発に動き回るようになるのです。そして、夜中に家の近くでたばしるそれは、確かに狐であったと同時に、世界の外側からいつの間にか訪れる不思議な力(霊威)の訪れに他ならなかったはず。
5月15日にみずがめ座から数えて「他なるもの」を意味する7番目のしし座で上弦の月を迎える今週のあなたもまた、マンネリ化し停滞していた日常に新たないのちを吹き込むべくやってきた「狐」を感じ取っていくことがテーマになっていきそうです。
生きていれば
ここで思い出される作品に、小沼丹の『十三日の金曜日』があります。
文鳥の記憶をめぐるこの短い小説では、主人公は或る日戦死したはずの友人を見かけ声をかけたら手を振ってくれたものの、人に確かめたらもう死んだと言われたことを思い出す。不思議なものだと出した足が愛鳥を死なせる。午後から学校へ出勤し、電車に揺られていれば風呂敷包みを頭に落とされる。今日は十三日の金曜日だと話す声がする。着けば、上着に財布を入れ忘れた妻への悪口が外へ漏れて人を驚かせ、そこで話は唐突に終わる。
振り返ってみれば、文鳥という言葉一つでて来ない。それに、いかにも小説のためと言わんばかりの、取って付けたような移動があるだけの小説で、ここでは何かが決定的に破れているのです。
破れているのは現在や過去といった時制だろうか、それとも自他の境界線だろうか、あるいは虚構と現実の区別だろうか―。生きていれば、そういうこともあるでしょう。今週の金曜日は17日ですが、その代わりに12日には闇を光が上回っていく上弦の月があり、これもまたひとつの破れ目と言えるでしょう。
今週のみずがめ座もまた、不意に差し込まれてくる余白やすき間を無視したりただ受け流してしまうのではなく、しかと受け止めていくべし。
みずがめ座の今週のキーワード
破れ目きたる